若い人たちの本を読みました。1986年生(佐藤航陽氏)、1987年生(落合陽一氏)の本(『お金2・0』、『これからの世界をつくる仲間たちへ』)です。
いわゆるデジタル・ネイティブと言われている生まれた時からコンピュータやインターネット身近にある世代で、かつ、先端で活躍している人たちの「言論」。刺激的で、まさに新しくて、面白いと思いました。
どちらも、「社会主義・共産主義」に言及しています。
「マルクスの「社会主義」・・・資本主義の問題点を指摘して、多くの人の共感を得た思想です。・・・しかし、結果的にはうまくいきませんでした。①私利私欲を否定、②政府がコントロールする経済、③競争の否定・・・(『お金2・0』)」
「これまでブルーカラーの労働者は、その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けていたと言うことができます。実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに、どういうわけかマネジメントをしている側の方が高い価値を持っているように見えていました。
でも、それは決して本質的な話ではありません。むしろ錯覚のようなものだと言っていいでしょう。そんな錯覚が生じていたのは、ホワイトカラーに対抗するコンピュータという概念がなかったから。それだけのことです。
話はちょっと飛びますが、たとえば、共産主義が失敗したのは、そのようなコンピュータがなかったからかもしれません。
もし「維持コストのかからない管理職」がいれば、労働者に富を平等に分配できるはずです。しかし、実際には、マネジメントできるほどのコンピュータが存在せず、「管理職」としての共産党や役人を食べさせなければいけなかった。そこが富を搾取するから、労働者は豊かになれなかったわけです。
そう考えると、先ほど紹介したUberなどは、ブルーカラーの平等と豊かさを実現するものとも言えます。配車というマネジメント業務を、電気代だけで動いてくれるコンピュータに集約することで、それが成立するのです。(『これからの世界をつくる仲間たちへ』)」
まあ、どちらも本当にマルクスの文献を読んだのかな、とは思いますが、新しいテクノロジー等が、私たちの「生活・生き方」のあり方や、イデオロギー、価値などの影響を与えるんだ、今の「常識」を超えるんだ!という主張・指摘は、まさに若い発想だし、いいんじゃないの?!、と思います。
「既存の資本主義に多くの人が感じていたことは、『お金にはならないけど価値のあるものって存在するよね?』という点だと思います。」(佐藤氏)とか、「『語学力』にとらわれない時代がやってくる」(落合氏)とか、そういうところも(何回転もして)新しいなあ、と思います。
もちろん、言っていることが全て納得、ということはありません。いずれも、それぞれの専門分野以外での新しさは限界があると思います、でも、当然でしょ、それは。
99%側に立つ自覚を持つ「左派」が、力を持つとすれは、やはり、「今」だとデジタル・ネイティブの発想とスキルが必要なのかな、と思います。「革命」というのは、まさに「革命的」なんだろうし。
よくわからないものは、忌避、ないしは、いたずらに迎合しがちですけど、そうではなく、新しい発想とテクノロジーに挑みつつ、「革命的な革命」に手を伸ばしたいと思っています。
息子(19)によると、AKIRAが、今、きているそうです。何が「新しい」か、はどんどん変わるのでしょう。突如、古き革命が、新たな革命として蘇る・・・ことが新しくなるかも?!