余裕のない時代に月を見上げる | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 やれやれ月末、家賃やら人件費(給料)やら、電気ガス水道代やら、カードの支払いやらに追われて、追われて、あっという間に時間が経つなあ。サラリーマンはいいなあ。あ、だけど、あいつは、会社はサボってばかりいる奴がいて気に食わねえ、とか言ってたから、まあサラリーマンもいろいろあるんだろう。あれ?、電車とまっちゃった・・・んだよ、また人身事故かよ。迷惑なんだよなあ、死に方だっていろいろあるだろうに。いらつくなあ・・・。

 

 というように、私(たち)は、余裕がだんだん、だんだん無くなってます。一緒に働く他人は競争相手であり、仲間ではありません。満員電車や駅で毎日すれ違う人々は、全くの他人であり、語らい、ねぎらいあう仲間ではありません。ただただ、ひたすら(どこかに)急いで、すれ違う赤の他人。

 

 ・・・これほど、支配側にとって都合のいい「大衆」はないでしょうね。細かく、細かく競争しあい、蹴落としあい、もしくは、少しの差で差別化をし合い、自己の優越、有利さを競い合う関係・・・そこには、団結も連帯もなく、数はあっても、それが結びついて力になることはありません。「お前は、あいつよりいい条件にしてやるぜ」「お前はエリート、勝ち組なんだから」ってな囁きで飼い慣らし、支配側に協力させるなんて簡単。

 

 なにしろ、学歴、業種、企業、給与、正規・非正規、年金その他で、「分断」に次ぐ「分断」・・・仲間って何?って感じでしょう。

 

 こうなっちゃうと、日々生きるのに必死か、勝ち逃げって感じで安泰か、いずれにせよ、世界=社会=未来には興味はなく、身内=会社=現状でいいや、ってことになるのかな。10年以上前、遠くイラクのアメリカの戦争に反対したのに、今、目の前に迫る朝鮮半島での戦争には反対なんて考えもしない、ってことでしょうか。

 

 まあ、俯瞰して見る努力をしましょう。空間的にも、時間的にも。世界=地球を遠くから見る視点、歴史を100年単位くらいで見る姿勢。・・・なかなか出来ないですけどね、私も。あくせく、あくせく働いています、多くの99%と同じように。分断されている世界中の仲間たちと同じように。

 

 なんとか、なんとか、他者を思いやる余裕を、未来に想いをはせる余裕を。北朝鮮の人々はどうしているのか?アメリカの人々は?スペインの人々は?私(たち)とどれくらい違うのだろう?

 

 見ている月は同じはず。見ている夢や未来も。