今、世界中が注目しているカタルーニャ独立問題。
スペインの10代の言葉が報道されています(朝日10/29)。「もう最高。泣きました。スペインの人々や政府が軽視してきた私たちの言語や歴史を守るには独立しかない。」
「独立を阻止するために中央政府は暴力をふるうかもしれないけど、いつでも街に出る準備は出来ている。私たち全員を捕まえることは不可能です。(ミレイア・カレノ・バロ(19))
報道を見ても、よくわかりません。「独自の言語や文化を持ち、繊維や自動車などの産業が集まる地域。だが、1930年代のフランコ独裁時代、カタルーニャ語も使用が制限された。」「政治スタイルも『地域ナショナリズム』を生んだ。」(朝日同)とはされていますが・・・・。
・・・よくわからないながら、すごいと思うのは、スペインのカタルーニャの10代の若者が、「私たちの言語や歴史」を守ろうとし、そして、政府の暴力があろうと「街に出る準備は出来ている」という気構えを持っている、ということです。もちろん、独立反対派もいます。
実際のスペイン、そしてかつて二度訪れたバルセロナの現実を見てみたいです。世界中の多くの人がそう思っているでしょうけど。
1936年末からスペインで戦った、あの『1984年』のジョージ・オーウェルは、『カタロニア賛歌』で「こうした問題では、だれしもが完全に正しいということはなく、またあるはずもないと私は信じている。自分自身の目でものを見る以外に何事についても確信を持つことは困難だし、だれしも意識的あるいは無意識的に党派的な立場で書くものだ。」と述べています。
あのスペイン戦争=スペイン内乱を描くことも、一つの経験として描くことがある意味、正確なのでしょう。
しかし、オーウェル自身は「一見したところ、このように災難だらけであったが−そしてたとえスペイン戦争が、虐殺や肉体的受難はさておき、恐るべき悲劇に終わったとしても−その結果は必ずしも幻滅やシニシズムとはならない。はなはだ奇妙だが、私には全体験が人間の品位に対する信頼を弱めるどころか、より強固にした。」と書いています。
人間の品位に対する信頼・・・今、スペインの人々のが何を求めているのか、それは、利己的な想いにすぎないのか、そうではないものか。ナショナリズムとまとめられしまうものか、不正(汚職事件)の隠蔽として利用されているのか。
いずれにせよ、人々の怒りが現体制に対し向けられています。このパワーはすごいですよね。人間の品位がそこにあるとしたら、それはやはり素晴らしい闘いなのだと思います。