失われた“言葉”を取り戻して“自由”を | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ジャック・アタリはフランスのヨーロッパ最高の頭脳とも言われることがある思想家・経済学者でミッテランの時代の大統領補佐官を務めたような人ですが、以下のような指摘をしています。

 

「現代の民主主義国家における市民とは、株価や経済指標によって成長や雇用が決まるのをただ見ている存在である。自分がどうにかできるわけではないと思っているし、そのことに疑問をもたない。運命を自ら引き受けるとか、運命をどういう形であれ変えるとか、ゼロから人生を切り開くといったことは自分に無理だと、あるいは縁がないと思っている。だから国に対して自分の身の安全を守ってくれと求め(つまり防衛、警察、保健衛生、教育、雇用を要求し)、最高のサービスを最低の価格で提供せよと求める(つまり税金を減らし、公共支出を増やせと要求する)。彼らは公共サービスのわがままな消費者であり、そうしたサービスを自ら他者に提供することなど考えてもみない。」(『ちゃぶ台返しのススメ』)

 

 そんなことはないよ!と反発をおぼえる人も多いかな?いや、そのとおり、みんなもその通りだから私もそうであってもしかたないでしょ、と妙に納得したりする人も多いかも。

 

 いずれにせよ、様々な法律、制度、プロジェクトというものは人が人為的に作るものであって、「想定外」と言ってみたところで、その結果は、多くの人にとっては災いという形をとったとしても、それは「人災」であって「天災・地変」ではありません。・・・とまあ、頭では分かっていても、自分がなんとかできるわけでないでしょ、という無力感が体の隅々にまで蔓延しているのも事実。

 

 それ自体、「政策」であり「戦略」なんでしょうけどね、支配のための。私たちから「自主性」や「主体性」や「自立」や「階級的団結」や、そして「抵抗」を奪うための。

 

 “言葉”自体を奪っているんだ、という指摘・示唆をする本に最近も出会いました。

「そこでの富裕層の第一の信条だった−『階級は存在しない』だ。階級の否定は、すこぶる都合がいい。平均的な労働者の賃金は伸び悩んでいるのに、富裕層の銀行口座に巨額の金が集まっている。その事実から注意をそらすのに、これほどうまい方法があるだろうか。サッチャリズムやニュー・レイバーによって『階級』ということばが国の語彙からはずされ、現代イギリスにおける明らかに不公平な富と権力の配分は、最低限の監視しかされなくなった。

 もはや労働者階級は存在しない(あるいは『消滅しつつある』)ふりをすることは、とりわけ政治的に便利だった。」(『CHAVS』オーウェン・ジョーンズ)

 

「“抵抗”がどういう意味か矢崎は知らない。そんな言葉は、このR帝国内の電子辞書にもない。まれに話題に上ることもある。ある者は昔流行ったケーキの名前と言い、別の者は男女の性行為の一つの体位と言った。」(『R帝国』中村文則)

 

 ・・・それでも現在、開催されているチェ・ゲバラが撮った写真の写真展には多くの老若男女が詰めかけているし、それはゲバラがどんな革命をしたか、どんな思想を持っていたかは知らずに来ている人も含まれているだろうけど、「何かある」と思って集まっているのだろうという点に希望があると感じます。

 

 

「階級」「団結」「連帯」「思想」「イデオロギー」「共産主義」「革命」「公平」「平等」「抵抗」「暴力」「公共」「主体性」「展望」私たちの「自由」など奪われがちな言葉と概念と力とブツ(唯物?)を、自分たちの主体性と階級の団結で取り戻しましょう!