水島朝穂先生のブログを見ていて、面白い「表現」を見つけました。
「警察叢書28号『特高用語と常識語彙』(奈良県警察部、1934年)には、「アジト: agitating pointの略。・・・本部連絡所または隠れ家」、「ハタ: 共産党機関紙「赤旗」の略」など、こうした言葉を口にする人物に敏感に反応するように横文字を含めてリストアップされている。なかには、「マルクス・ボーイ」(マルクス主義にかぶれた青年)と「エンゲルス・ガール」(マルクス・ボーイに対してマルクス狂の娘)など、笑える項目もある。」
イエイ♪ マルクスボーイ、エンゲルスガール、だって。ゲバラボーイに、カストロガールみたいな?それともモガ、モボ? 実際、「カストロって色っぽんですよ〜♡」って女子に会ったことはあります(カストロに会ったんだって)。
とはいえ、21世紀の今、マルクスボーイやエンゲルスガールは居るのかな?この日本に。・・・まあ、居るんですけどね、実際。若い、ってアナタが思っているより凄いことかも。私たちの世代の新しかったことは、とっくに旧くなり、かつての古いことが、新しかったりします。
90年代の音楽が古くて、80年代のキッチュな音楽が新しい、みたいに。
そもそも、憲法でも「思想・良心の自由」なんて定められていますけど、本当に「何でもあり!」なんて思っている人はどれくらいいるんでしょう?!
「暴力は絶対いけない」「共産主義は悪」「国家は絶対必要」なんて時の権力の「洗脳」ですっかりやられている人も結構いるんじゃないかなあ。違いますか?
私は、暴力は時に止むを得ないし、共産主義、社会主義の発想もよく理解できます。ナショナリズムから自由になりたいし、国家が絶対とも思いません。もちろん、天皇制なんか要りません。これってフツーに思想の自由な範疇ですよね?、言葉の意味では。
思想の自由。そんなに自由って簡単ではありません。鍛えないと自由にはなりません。え?私は自由? ああ、それは余暇です。自由とは異なります。
思想の自由とは厳しいものです。自由の中でもとりわけ、厳しいと思います。きっと、美しく、崇高なのでしょうが、それは、厳しさの果てにあるのでしょう。
自由に発想できたらなあ。そんな時代が来るといいなあ。偏見と差別が本質的になくなる世界。無知からの自由、無慈悲からの愛へ、他者という発想から解放。
言葉をもっともっと横溢させて、想いを世界に溢れさせて、世界を圧倒しましょう。その中にこそ、「思想の自由」があり得る。沈黙は罪、です。言葉を。そして、言葉を。