大人のイメージ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 昔、大人って、なんというか、偉くて、すごくて、立派で、一人前で、セクシー、みたいなイメージを持っていました。一方、テキトーで、イイカゲンで、アタマ堅くって、わかってない奴、みたいなイメージも。

 

 「まあ、ひとそれぞれですよねえ、むずかしいですよねえ」とか・・・。

 

 

 イマドキ、「大人になる」というのは、

1、      波風立てずに無難に過ごす

2、      とりあえず、カネを稼ぐ

3、      組織中心、そして家族中心で、いずれにせよ社会的・政治的にならない

4、      目立たない、風上に立たない(儲かる場合は別)

5、      良心の疼きはせいぜいボランティアか、軽く宗教

6、      マラソン出ても、デモには参加しない。

7、      「それもわかる、でも、あれもわかる」というスタンス

8、      つまらない人間になることに巻き込もうとする

9、      批判はしても、行動はしない

10、 ともかく、目立たない

 

みたいな感じでしょうか、とりあえず。けど、これじゃあ、なんだかなあ・・・。

 

 「仕事」=金稼ぎは生活のためにしなければならない、そりゃそうだ。だけど、やっぱり、社会で果たすべき責任と役割、が大人じゃないのかなあ。これは古いイメージでしょうかねえ。

 

 この21世紀の腐臭漂う資本主義末期的な新自由主義的な価値観の中で「大人になる」って難しいことかもしれません。

 

 昔、私よりずっとずっと「優秀」だった同級生たち、立派な大人になっている人、思ったほどじゃなかった人(いや、これからすごいのかも)、がっかりな人、まあ、いろいろいます、私だって、誰かにとっては、まあ、こんなもんかだろうしね。

 

 年取って・・・自分が立派な大人になっているか、と問われれば否定せざるを得ません。もちろん。

 

 「いや、いろいろしがらみがあって言いたいことも、言えないんだよ」っていう人が「大人」のイメージだと、ちょっと寂しいよねえ?それでも、工夫して、言いたいことをうまく伝える術をもっているのが大人じゃないのか・・・。

 

 というか、本当は言いたいことが別にある、んだったらまだマシなのではと思います。それすらなくなっている「大人」が結構いたら嫌だなあ、と思うのです。

 

 ともかく、「まあ、そういう考え方もありますよね。」的なスタンスにはウンザリだなあと思うのです。もう、エイプリルフール。