18歳が保守的であって何が(誰が)悪い? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 今回、全体で全人口の有権者比率80%中わずか2%、約240万人の18歳・19歳の有権者が注目された選挙でした。

 様々なアンケートの集計結果を見ても、近年の若者の傾向通り、投票率は全体と比べても45.45%と低く、そして、「自民党支持」が高かった模様。
 

 今時の18歳は、「さとり世代」(原田曜平)と呼ばれることもあるらしいです。学校での教育、メディア、そして親や勤め先の企業を通じてすっかりソフィスティケートされた支配(洗脳)システムで、逆らう前に既に諦めてる「さとり世代」。概ね1990年代に生まれた世代のことのようです。

 まあ、自分が18歳頃のことを考えても、そんな自由な発想だったかなあ、といえば、そんなことはなかったと思います。もちろん、何も知らないから、自分の知らないことはすべて新しく新鮮だし、その頃出会った音楽や文学には今の歳よりずっと感動したし、失恋すれば絶望したキブンになったりしました。しかし、それは、狭い自分の枠の「世界」の中でのことで、その後、勉強したり社会経験を積んだり、様々な人と出会って、発想としては、大人になるにつれ自由に、そして視野が広がりつつ、あると思います。

 むしろ、若い時は、変な「相対主義」というか、「ああいう考え方もあるけど、こういう考え方もあるよね」みたいな実はどっちつかずで支配する側からは扱いやすいタイプの発想が「常識」みたいに洗脳されはじめていたから、その頃の「若い人」だった自分も今思えば割と「常識的」だったなあ、と思います。

 まあ、80年代以降の若者なんて、そんなもんじゃないですか? 放っておけば「支配」されてるという・・・。

 そして、その頃、つまり実際の1984年より、さらに、ジョージオーウェルの『1984年』で描かれたような支配体制が確立してきている時代が今です。私たちは「言いたいことを言えない」のではなくて、そもそも「言いたいこともない(思いつかない)」ような状況に追い込まれつつあるのかもしれません。

 投票に行く大人の大半が自民党に入れるんだから、いまどきの18歳がそうすることは当たり前、なのでしょう。そのような世代を作り上げてきた、デザインしてきたのは、大人の私たち、ということです。

 え?なんだか辛気臭せえ話だって?いまどきの若い奴はダメだっていう話かって?

 いや、そうではなくて、むしろ大人の私たちが「若い人の新鮮でみずみずしい発想を」なんて手垢のついた、それ自体ぜんぜん「みずみずしくない」キャッチコピーを繰り返すような無意味さよりも、踠(もが)いて自由をつかもうとしている大人の自分の姿を、若い人たちの前にさらけ出した方がマシでしょう、ってことです。

 今や少子化でマイノリティの若い人たちは、それでも、この先、生きていくのだし、これから困難に具体的に直面しながら、成長していく、はずです。中には、その時、考え、試行錯誤し、より自由になっていく、つまり大人になっていく人たちも現れるでしょう。
 だから、いつの間にか、大人(の年齢)になってしまった私たちは、自分がやらなかったこと、やれなかったことを期待するなんていう「他人事目線」ではなくて、せいぜい、少なくとも自分がかつてやろうと試み、もしくは今、試み続けていることこそを「若い人」に期待しようよ、ってことです。
 若い人たちに「新鮮でみずみずしい発想」を期待するなら、自分がそういう世界=生活を作り出そうと(試み、失敗)してきた、し続けている姿を見せるしかない、と思います。

 自由に放っておけば、この社会の中では、支配者に都合のいいように「保守化」するのです。仕方ないじゃん?、大人もそうなんだから。

 それが、不満なら、大人が、「自由」で、「新鮮」で、「はみ出し」て、「逆らって」みせるってことでしょう。大人が黙っていれば、子どもたちは保守化し、奴隷化し、いいように使われるだけの(軍隊か企業の)「兵隊」になるだけです。

 18歳が選挙なんかに行かないのは当然だし、行ったら行ったで自民党に入れるのも、私たち大人のせいです。大人がちょっと暴れてみせないと!

       私は、若者にも大人にも大いに期待してます。