今も司法に生きる国家無答責の思想   横浜事件国賠東京地裁16.6.30判決批判 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 昨日(6/30)、東京地裁民事30部(本多知成裁判長、辻本千明裁判官)により横浜事件国賠についての請求棄却判決が下されました。

 私が注目していた司法の違法な証拠隠滅については「昭和20年当時、訴訟記録は、裁判所又は裁判所検事局において、懲役刑の判決原本は永久、刑事記録は言い渡された刑の種類に従って原則として1年から15年の間保存することとなっていたにもかかわらず、本件確定判決に係る訴訟記録のほとんどが既に存在しなかったこと、昭和20年8月15日の終戦直後、連合軍による占領に備え、上部機関から指示によるほか、管理者の自主的な判断によって、公文書の焼却等が広く行われたことに照らすと、本件確定判決に係る訴訟記録も、これを管理していた裁判所職員による何らかの関与の下、昭和20年9月15日の判決言い渡し後ほどなくして、連合国軍の進駐時頃に廃棄されたものと推認することができる。」とし、

 その上で、「神奈川県警特高警察官らによる亨及び利雄に対する拷問や意に反した手記の作成の強要、拷問の事実を認識したにもかかわらず、検察官や裁判官が拷問で得られた自白調書、手記等の信用性を十分に検討せず、公訴提起、予審終結決定を行うなどをし、本件確定判決が言い渡されたこと、裁判所職員が何らかの関与をしての本件確定判決に係る訴訟記録の廃棄については、いずれも、国の公務員がその職務を行うに当たっておこなったものということができる。」と認定しています。

 これは、これまで焼却の「主体」を明示しなかった再審および刑事補償決定までの認定より「裁判所職員」と明示した点で、さらに踏み込んだ認定とはいえます。

 しかしながら、この「裁判所職員」の関与の明示は、故に裁判所(司法)の組織的かつ歴史的な違法行為の責任を問うための認定ではありません。

 裁判所が今回、この国家賠償請求を蹴ってきた理由は、「国家無答責の法理」です。裁判所は、以上の違法行為が国家賠償法制定前であることを前提に「行政裁判所法16条は『行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず』と定めていたことろ、同条の規定は、『君主は不善を為すことを能わず。故に政府の主権に依れる処置は要償の責に任ぜんとは一般に憲法学の是認する所なれば』との考えに基づき、国は権力作用について損害賠償の責任を負わないという当時の諸外国でも一般に承認されていた国家無答責の法理に基づいて定められたものである」こと等を理由として、損害賠償責任を負わない、と切ってきたのです。

 戦前の国家公務員、つまり特高警察官、検察官、裁判官、そして裁判所職員の違法行為は、証拠隠滅行為を含め責任を負わないことになっていたので、今も負わない、ということです。

 私ども弁護団は、この論理が取られる可能性はもちろん意識していました。しかし、そもそも「国家無答責の法理」が戦前でも確立したものであったかについては近年、研究が進み当たり前のことではないこと、そして判例においても、少なくとも「現在」それをストレートに適用することを否定するものも現れています(東京地裁2003.3.11、東京高裁2003.7.22等)。

 また、この国家賠償請求で問うたのは、治安維持法下において拷問を行ったうえで引き出した虚偽の自白を根拠に有罪判決を下しつつ、即座にその判決を違法に、そして自己の保身のために焼却「隠蔽」し、その「功が奏した」がために再審請求が妨害された、という一つの因果関係に貫かれた司法の一連の犯罪的違法行為の責任です。

 一言でいえば、「お前(裁判所)が悪いと思って証拠を隠し、実際に責任追求(再審請求等)を邪魔しながら知らんぷりかよ?!」ということです。「司法として」の責任です。

 昨日、法廷で本多裁判長の主文読み上げ直後、傍聴席から「ふざけんな!」という声が上がりました。裁判長は退廷命令を言い渡しましたが、出て行かないので、私の方を向いて「出ていかなければ、要旨の告知をしない」と言って、原告代理人である私に対して、傍聴席の方に退廷することを促すことに「協力」を求めてきました。

 どの時代も、権力側の「秩序維持」に協力が求められる場面があり、弁護士などという存在は下手すれば、粛々と権力に協力する立場に追い込まれがちです。私は「進行の妨げになっていない」と裁判長に告げ、結局、裁判官らは閉廷を宣言しました。

 どこで、誰の立場で、何をなすべきか。また、嫌な時代の足音も聞こえますが、それを許さない人々の力も昨日は感じました。危機的なメディアの中にも、危機的な弁護士の中にも、そして、今を生きる99%の人々の中にも、仲間はいます。

 闘い続行です。