本日の朝日(5/24)に「砂川判決の呪縛」という特集が組まれています。1957年の事件ですが、最高裁長官が、「裁判の見通し」を米国大使にチクった、しかも憲法9条に関する重要な事案を、という事件についてです。
我が横浜事件第三次再審請求弁護団、そして砂川事件再審請求弁護団代表の吉永満夫先生は、田中耕太郎という当時の最高裁長官の意識は「裁判官というより政治家だったのではないか。・・・ある書物で、左翼的暴力の脅威から民主主義を守るために戦う必要があるという主張をしています。米大使に評議内容を伝えるくらい、何の問題もないと考えたのでしょう。」と端的に指摘しています。
つまり、最高裁長官も政治性を発揮して、ブルジョア的リベラル(保守)の体制を守るためには、軍事同盟国に裁判についての情報をリークする位当たり前だということです。
最高裁って、公平中立で厳格な機関、なんて教わったりすると思いますが、実態は、まあ、こんなところです。
ブルジョア支配体制の裁判所のあり方を端的に示す歴史的エピソードだと思います。
本日、私も東京地裁の警備法廷、つまり、あらかじめ裁判所が偏見を持って指定する暴力的排除体制ガチガチの法廷で勾留理由開示公判の弁護を担当しました。
これまた、若い裁判官(宇野さんという方ですが)が、マニュアル通りに何も示さず、何も答えない、虚しい法廷で、その暴力発動装置=逮捕令状を発布し、勾留を認め、本日も、ちょっと声を出しただけで暴力的に法廷から排除する裁判所、としての機能をいかんなく発揮していました。
裁判所というのは、ブルジョア国家権力としての「暴力」にお墨付きを与える機関です。吉永先生がご指摘されている通り「左翼的暴力の脅威から民主主義を守るために戦う必要がある」という反革命、反共産主義的な、偏った思想的立場(つまりは、保守であり、リベラルであり、現体制維持ということですが)に立って、建前・フィクションとしての「三権分立」を利用しながら、暴力を発動する最終的機関だということです。
弁護士を25年やって、そのことはよく理解できました。そのあり方は、反保守思想に対しては、無慈悲で、あまりにも暴力的です。裁判官がそのように教育されているのでしょう。
政治家・田中耕太郎最高裁長官の例はあまりに端的ですが、今も、現実に、政治的な暴力は、日々、裁判所で見ることができます。ぜひ、皆さん、裁判傍聴を。とりわけ、警備法廷事件を。公安事件を。そこで、現実を見、場合によっては体験することができますよ。