かつて山本太郎氏と初めて、事務所で二人で会った時、意気投合したのは、「頑張ってください、ってやだね」ってことでした。
「頑張ってください」とか、「応援してます」とか、どこか他人事の言葉って孤独になるだけだよね、って話で一致しました。(え?、アンタはどうするの?俺もいろいろ立場・言い訳・忙しさはあるんだけど!?)
その後、山本太郎氏は議員になり、なんというか独自の立場で、私とは必ずしも一致しない行動をしていますが、ともかく、「頑張ってね」の他人任せって無責任でやだね、ってことでは一致したのでした。
・・・まあ、未だ感じますけどね。ともかく、政治は誰かに任せる、自分は批判はするが責任は取らない、そういう大人を大量生産して支配に置くのが「議会制民主主義」体制の現実だと思います。
「なんで、みんな怒らないんだろう?」とか「日本人は、ダメだと思います。」といった類のコメントも同様。自分では、どうかしようと意思なし。お前も「みんな」だろ?!とか、あんたも「日本人だろ?!」って思いますよね。
まあ、そういうことで、「議会制民主主義」とは、支配の仕組みであり、「他人任せで自分では責任取りたくないよ~ん」という人間を生産するシステムだということです。
本日、私も国会前の盗聴拡大・司法取引・取調べの録画制度・証人隠蔽制度法案の反対の行動に行きましたが、法務委員会では可決してしまいました。
沖縄では、またしても軍人による犯罪の可能性が沖縄の人々の怒りに火をつけています。私は、95年の沖縄の少女暴行事件の時には父と沖縄に調査に行きました。
一昨日の集会で内田博文教授は、他人の痛みを自分のことと感じる感性の重要性を強調していました。
「議会制民主主義」という仕組みは、批判する人、評論する人、を「許す」仕組みであり、「じゃあ、俺がやる!」という人を忌み嫌う仕組みです。どこまでいっても、決して・自分では・責任をとって・主体的に・やりたくない、という人を量産しています。
・・・そんなのかっこ悪いじゃん?!ロックじゃないじゃん?!・・・みたいな大人はどんどん動いてください。早くしないとどんどん動きにくくなるかもよ。本当に「自由」とか好きならね!