言葉の可能性 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 今、一所懸命、無罪を争う刑事事件の上告趣意書を書いています。ふと、確率を考えると狂気かもしれませんけど、確率なんて考えて何かをやりとげることなんてできないぜ!と、没頭しています。というか、実際は、あまり可能性を考えず、ただただのめり込んでいます。

 いずれにせよ、とりあえず、日本の刑事裁判において、一定、「言葉」だけで勝負できる部分はあるんだ、勝つ=無罪獲得、ことはあるんだ、と思うと、「言葉」ってすごいな、と思います。

 弁護士の武器は、とりあえず、言葉、文章、理屈、論理です。すべて、物質的ではなく、人が自らの頭の中から生み出すものです。それが、自由や財産を獲得したり、奪われたり、場合によっては生き死にを左右するわけです。

 怖いことです。そして、素晴らしいことだと思います。誰かの言葉が、誰かの思考に影響を及ぼし、死刑判決を出し、無罪判決を下し、さらには、革命を起こし、世界を変えることがあるのです。言葉はすごいです。

 感情に訴える言葉も大きな意味を持ちます。むしろ、最終的にはなんらかの感情に訴える言葉が力を持つのかもしれません。しかし、一定、論理的、理屈にかなっている言葉が、誰かを説得し、誰かを納得させ、その意味で、気持ちを変え、結論を導くことはあるでしょう。

 そういう言葉を身に付けたいですね。何もたいしたものを所有していなくても、そういう言葉を持てればな、と思います。まあ、文の人、だし。

 知恵=言葉、とはそういうものだろうし、勉強したり、社会で経験積む、ということはそういう「言葉」を身につけることだよな、と改めて思います。いつまでも残るわけで・・・自分自身、百年以上前の言葉=本にも心打たれますしね。

 言葉で世界を切り開く・・・それって人間的ですよね。力のある言葉、レーニンのような言葉、大杉栄のような言葉、大江健三郎のような言葉、魯迅のような言葉・・・。

 ともかく、説得的で心を打つ言葉を身に付けたいです。