アメリカでは、トランプか、サンダースか、という位、思いっきり、旗幟鮮明な政治主張が吸引力を増しつつあるようで、それだけ、人々の暮らしがギリギリなところにきているのだと思います。排外主義か、民主社会主義か、だもんなあ。
いわゆる中間層なんて、とっくに、とっくになくなっているのだと思います。で、日本はどうなんでしょう?さすがに、「一億総中流」な時代なんて遠い過去で、非正規40%をさらに拡大する「一億総活躍社会」が国家戦略としては目論まれている「格差」社会なのでしょう。アメリカほどではないのかな、まだ?
極端な排外主義みたいのはイヤだけど、社会主義なんて同じくらいありえない、「階級」「団結」「革命」とか見るのもイヤ、という中間層、いわゆる日本のなんとなくリベラルな(つもりの)人たちの行方は?と気になります。
時に、「野党」民主、共産、維新、社民、生活の党ら5党が安保法案廃止法案と民主、維新の「廃止をめざす安保法に代わり、憲法の枠内で国際情勢の変化などへの対応策」としての「周辺事態法改正案」「PKO協力法改正案」「領域警備法案」の3法案を提出とのこと(朝日2/22)。
朝日新聞の「憲法の枠内で国際情勢の変化などへの対応策」ってところがいかにも曖昧で、リベラルで「らしい」。これで自衛隊の活動範囲は「日本周辺」に限り、自衛隊の派遣時には例外なく国会の事前承認を求め(文民統制の「歯止め」)」ることになり、安心して、合憲な軍事行動=戦争ができるということでしょうかね。
まあ、こんなところかな。北朝鮮、自衛戦争は仕方ないかな?なんとなく、その方が「マシ」な気がする?なんとなく、民主的で、やさしい戦争(「安全保障」と言い換える?)になりそうだから?
なんとなくリベラル。なんとなく他人任せ、なんとなく野党スタンス、なんとなく責任はとらない、なんとなく言い出しっぺになりたくない。
私もそんな世代ですけど、今、厳しい時代が目の前に迫っています。いや、もう始まっています。どんなに政府に放射能も、景気も大丈夫って言われてもねえ。そして、日本の為、と言われても。
自分で考え、決め、表明するということはストレスかもしれませんが、どちらかといえば、今こそ、必要な時でしょう。明日、東アジアで戦争が始まるかもしれません。「枠」=法制度の問題も大事だけど、具体的にそこにある戦争にどう態度表明するかは、もっと大事でしょう。
反戦・国際連帯、love & peaceを今こそ、アピールしましょう