「法曹小説」の世界 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 『禁忌』(フェルナント・フォン・シーラッハ)、『紙の動物園』(ケン・リュウ)、『未成年』(慰安・マキューアン)、いずれも、弁護士や裁判官が主人公だったり、弁護士が書いていたりする小説ですが、とても面白く、惹きこまれる小説でした。とりあえず「法曹小説」と名付けました。

 かなり、法律の実務的な事柄にも精通した上で、それを小説的な感動にまで昇華させている感性の鋭さを感じ、素直に感動します。

 テイストは違いますが、高橋和巳が『悲の器』で目指したような世界と共通するようなものを感じます。

 ここでは「知識よりフィーリング」とか「本より現実」という非知性的・非思考的方向性が導く安易なネット的・メディア的なありきたりの「感性」(まあ、感性と呼ぶべきかもわからないけど)とは真反対の世界を目指した「文系」的知性の研ぎ澄まされた感性の地平線を切り開くような人たちが世界にはいるのだなあ、と感動します。

 まあ、面白いってことです。小説が面白いというのは、気づきが多いということです。言語の可能性、決断とは何か、専門家であるということの意味、老若の感じ方、知性、音楽が切り開く世界・・・などなど。

 ああ、真面目に仕事、そしてそのための勉強をしなければなあ、と思います。ちゃんと感じるために。研ぎ澄まされた感性を得るために。

 そうしないと、世界で起こる、自分が生きている世界で起こる事柄に気づかず、感じず、雑に通り過ぎてしまいそう・・・そんな気がしてきますね。

 ・・・まあ、なんというか、世界は面白い、いろんな人がいる、感性の可能性は面白い、と思います。小説なんて、所詮「あ、そういうの私にもあるある」ということを描いて共感による感動を生み出すような気もしますが、その「あるある」を普遍的に描くことの難しさ、それを可能とする瑞々しい感性・・・そういうのって素晴らしいですね。

 テレビドラマにあるような型にはまった「法曹像」を大いに逸脱した人間としての法曹、実在としての法曹である人間を題材として描く世界の拡さに、ぐっときました。いずれもオススメ。