政治的な「テロ」なのか否かは、断定できませんが、無差別的な殺人、暴力が行われたことは明らかでしょう。フランス国のシリアでの「イスラム国」爆撃との関連も報道されています・・・たったいまイスラム国が犯行声明をだしたとの報道がありました(11/14 20:02)。224名の犠牲を出したロシア機墜落についても同様の声明が出されています(10/31)。
「テロ」という方法を目的達成のために肯定することはできません。ましてや、無差別な対象に向けてのテロを方法として認めることはできません。
そのような暴力の行使は、帝国主義・大国主義の国家権力のやり方そのものです。
「テロ」は政治的目的としての賛同を人々から得ることは困難ですし、それを口実とした新たな暴力の方便に使われるだけです。
このような時代だからこそ、「暴力」を冷静に見定めること、つまり、どこで、誰が、誰に対し、どのような暴力がを存在させているのか認識することが大事だと思います。
とりわけ、「次の暴力」への感性が重要だと思います。ショック・ドクトリンのように、ある「テロ」事件が、次の暴力=戦争・報復を招くことに対し、私たちは無抵抗ないしは奨励・認容、もしくは逆らい難い「空気」にさらされがちだからです。
オバマ米大統領は「全人類と普遍的価値への攻撃だ。テロリストに正義をもたらし、我々を狙ったテロ組織を追い詰めるため、フランスをはじめ世界各国と何でもやる」とかなり傲慢ともいえる声明を出しています。要注意です。
米軍がシリアで空爆をし続けていることは当然ながら殺人的な暴力の行使であり、肯定することはできません。
国家の行う暴力、つまり、軍隊が行う暴力、警察が行う逮捕・勾留などの暴力、裁判所の法廷で行われる退廷命令に基づく暴力などについて、私たちはもっと知り、敏感になるべきだと思います。
何故、暴力が行使されるのか・・・国家の暴力せよ、その他の組織の暴力にせよ、それぞれの主体にとっては理由があります。国家にとっては資本の帝国主義的侵略のためには暴力が必要なように。
シリアでの「イスラム国」への大量殺人(空爆)への報復が理由だとしても「テロ」が肯定できないように、「テロ」を口実とした、次の国家的暴力を許すことはできません。
民衆・労働者が階級的に奪還する必要のある「暴力」と、大衆に向けられる「空爆」や「テロ」のような暴力は全く違います。
それぞれの「暴力」の本質を見極める冷静な「感性」・・・。今こそ、このような感性に磨きをかけ、韓国でのゼネスト(11/14)のような労働者の「力」を発揮する形を民衆・労働者レベルでの国際連帯として築き上げましょう。

