「刑事弁護」の世界 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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「刑事事件はお金にならない」ということで、刑事事件を専門とする弁護士はまずいなかったし、むしろ、刑事事件をなんてやらないという弁護士は多くて、国選事件なんてボランティア活動みたいなものだからやり手がなかなかいない・・・なんて状況が弁護士貧窮化「以前」にはありました。

 今も、相対的にはやはり「刑事事件はお金にならない」とは思います。争う、つまり、無罪を主張する事件なんてほとんどないし、大方は犯罪に実際、関与していることが多く、「程度」の問題が争点ということがほとんどです(それ自体重要ですが)。そして、十分な資産があり、安定した仕事に従事して、家族等に暖かく援助もしてもらえる方が被疑者・被告人だと弁護士費用的には助かるのですが、そういう方が警察に逮捕されるケースは稀です(ないわけではありません)。

 しかし、それでも、さらに相対的に貧窮化の坂を下ってきた弁護士階層にとっては、国選でもなんでも仕事にしなければ、ということで今や国選も引く手数多のようです。


 弁護士、というくらいですから、本質的には「弁護人」つまり、刑事弁護を行うことのできる唯一の資格という点に存在意義があるとは思います。

 それゆえに、刑事訴訟法、規則、判例等に通暁し、時に警察署、検事、裁判官とぶつかることも厭わず、という修業の積み重ね、みたいな面があります。『季刊 刑事弁護』(株式会社現代人文社)という雑誌があって、そこには、まさにthis is 刑事弁護人、みたいな弁護士たちの珠玉の論考が寄せられていて、大変、勉強になります。学者という視点とは異なる実践的な内容が、まさに痒いところに手が届く感じの素晴らしさです。

 私自身は、刑事弁護もやるけれど、とても刑事弁護の専門家とは名乗れない、そんな気持ちにさせてくれます(実際、名乗れませんが・・・)。

 それに、そもそも身柄が取られている=逮捕・勾留されている被疑者・被告人の事件というのは、常に接見に呼ばれているようで落ち着かないしから、受け持っている間はヒヤヒヤです。

 つまり、刑事事件はあらゆる意味で大変です。熟練の技術、勾留されているという特殊状況にある依頼者との関係、警察・検察・裁判所の圧倒的な暴力との対決・・・やはり対権力=暴力装置との闘いという厳しさがあるからだと思います。

 ・・・それでも、いや、それだから刑事弁護はやりがいがあります。とことん夢中にさせるようなところがあります。弁護士しかできない仕事だし、闘いだし、真剣勝負の緊張感・・・。

 何よりも、権力闘争としての本質、つまり、「刑事弁護」こそが人々の権利と自由を守る弁護士の具体的な闘いであり、このような闘いを行うからこそ、民事その他の分野でも徹底的に闘う存在としての弁護士の誇りが育まれる、という自覚があるからです。弁護士の noble obligationということだと思います。

 刑事弁護なんてやらない、勾留理由開示とか「過激派」でしょ、みたいな弁護士も多いのですが、「刑事弁護で国家権力と闘ってこそ弁護士なんじゃないの?!」という気持ちは強くありますねえ。