祝 全員釈放!    国家の暴力主義について | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 「監禁致傷」とでっち上げられて逮捕・勾留された若者4名、本日、全員釈放です。

 もちろん、警察による逮捕は暴力であり、その後の監禁(勾留)も暴力です。刑法上犯罪とされる暴力が正当化・合法化されるのは、その逮捕・監禁が手続き的に正当なものと評価されるような要件を満たしていることが必要です。警察が行えば、逮捕だろうがなんだろうが、それで正当化させるわけではありません。

 この間、やりたい放題の暴力=逮捕・勾留が警察によってなされ続けています。対象は、体制外の思想を標榜する革命派の人々です。

 いわゆる思想弾圧としての国家暴力です。こんなことが100年以上続けられています。共産主義・社会主義・無政府主義などのイデオロギーに対する偏見というかアレルギーは大衆の中にもすっかり浸透しているので、どこか「彼らが逮捕されるのは仕方ない」「警察が逮捕するんだからなんか根拠があるんだろ」みたいな世間の受け止め方、そのような国家暴力の容認を助長しているように感じます。

 しかし、現実に、この夏にも10名近くが起訴も出来ない証拠のまま逮捕・勾留されています。つまり、いやがらせ=弾圧のための弾圧、暴力、そのものではないでしょうか?このような国家の無法な暴力主義に、もっともっと異議を唱えてもいいのに!と思います。そういう感受性があってもいいはず。

 今回も私は、接見し、勾留理由開示公判において弁護人を務めました。勾留を許可した裁判所も警察・検察の言いなりで、偏見を持って事実を見ていることが確認出来ます。何しろ、勾留に理由がある、と判断したのは東京地裁の裁判官自身ですからね。

 ヘイトスピーチは、外国人だけではなく、思想にも向けられます。また、暴力は国家権力こそ常套手段として用います。
この現実にピュアに目を向け、差別と不当な暴力を許さない、そういう声を上げ続けなければ、と思います。「非暴力」とは「革命」という方法に対置されるひとつの体制変革の思想であり、それ自体は意義があると思います。むしろ、「非暴力」を標榜する方々こそ、差別を排し、国家の思想に対する根拠なき暴力を弾劾する感性を持っている(はず)と思います。共に世界を取り戻すために頑張りましょう!