戦争法を成立させた政権への怒りが各地で盛り上がっています。これまで経験したことのないほどの高揚・・それは、これまでにないほどの1%のための政府とわたしたち99%の民衆の非和解的な対立が歴然としたからでしょう。
戦争法成立の日の国会前、私も行きましたが、そこではまるで軍隊のように1%の政府を守る警備の警察官の群れと戦争法に反対する人々・・・すでに戦争が始まっている・・・そう感じました。
99%の民衆・・・オキュパイ・ウォール・ストリートの運動から生まれた表現だと思いますが、いわゆる階級対立を端的に表現したものだと思います。
資本を独占する1%(以下)の法人を含む人々とその他の99%の拡い意味で持たざる人々の階級の違いです。資本主義とは、この1%の資本家階級による支配の構造を意味します。
これに対し、社会主義・共産主義という発想は、簡単にいうと99%の階級のみで成立する世界の構築であって、1%の有産者という状態自体を無くすことを意味します。99%が100%になるということかな。
もちろん、現状の99%の内部でも大きく階層は分かれていて、いわゆるプチブルジョアジーから、正規、非正規、ホームレス状態まで様々で、また、考えていることも様々でしょう。
とりわけ、支配階級の思想が時代の支配的思想になるのは、当然で、「資本主義で歴史は終わり」だとか「社会主義=専制国家」とか、「革命=暴力主義」みたいな無知につけこんだ思想が蔓延させられていると思います。もっと自由に議論ができる状況になれば、とは思いますが・・・。
「無政府主義者は決して暴力を好む者でなく、無政府主義の伝道は、暴力の伝道ではありません。欧米でも同主義に対しては甚だしい誤解を抱いています。曲解し、わざと中傷しているが、日本やロシアのように乱暴な迫害を加え、同主義者の自由権利をすべてを剥奪、踏みにじり、その生活の自由まで奪うようなことはまだありません。
ヨーロッパの文明国では、無政府主義の新聞雑誌は自由に発行され、その集会は自由に催されています。・・・・
これを乱暴に禁止したのは文明国中、日本と露国のみなのです。いくら腐敗した世の中でも、兎に角、文明の皮を被っている以上、そう人間の思想の自由を蹂躙することは出来ない筈です。」
これは、1910年の「大逆事件」ででっち上げで司法に殺されてしまった幸徳秋水の「陳弁書」という裁判用の文章ですが、今も通用するものであり、そのこと自体、恐ろしいものだと思います。
100年前、国家権力及び支配思想の影響を受けた人々が排除したのが外国人と社会主義者でした。
さて、現在の状況はどうでしょうか? アジアの近隣の人々(例えば、買い物に来日している中国人観光客ら)と友好な関係が個別・具体的に結ばれているでしょうか。
また、日本人同士も、レッテル貼りでサヨク、ウヨク、チューカク、相手のことをよく知ることもなく、「攻撃」が繰り返されていないでしょうか。
もっと、もっと、議論したいですね。オープンな場で。「民主主義ってなんだ?」の一つの答えが、そのような、本質的にオープンで自由な議論だと思います。まったく足りていないと思います。