ふ~ん。日本は「戦後70年」、戦争に関わったことないのかな? そうか?たとえば、ベトナム戦争は「ベトナムで」アメリカ軍が戦っていたから、その間、「アメリカは平和だった」ということになるのかな・・・。「国土」に拘るのかな。
そんなことないよね? 朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、いずれも日本、絡んでいますよね?基地を提供しただけ、自衛隊は空輸のサポートしただけ、だから「戦争に関わってない」ってこと? ふ~ん。
それだけではなく、厚労省の「国民生活基礎調査2014年」によると、「生活が苦しい」と感じている世帯が62.4%、子どもの居る世帯だと67.4%だそう。
6割から7割の世帯が「生活が苦しい」時代って「平和」なのかな?
「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本」か・・・。
「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩み」か・・・。
堂々とこう言われると、強い違和感を持つのですが?本当に、そう思っているのかな?それとも・・・
戦争法案を推進する側も反対する側も、そこら辺は一致しているというのは、ちょっと不気味というか、自分とは認識が違うなあと思うのです。
そして、何故だろうと想います。なぜ、「戦後、日本は平和だった」という言葉が、堂々と言われてしまうのか、その空気、風潮、常識は、怖いな、だれかに暗に強いられているな、と思います。
「他人のことは自分のことと感じるな」と命じられているな、と感じます。世界のどこかで戦闘が行われいれば平和じゃないんじゃないの? 父は、ベトナム戦争に反対し、ベトナムに行ったり、ストックホルムのラッセル法廷に行ったりしていました。なんだったのだろうな?と思います。
「自分のこと」の範囲は人によって、随分違いすぎて、話をしてもFacebookを見ても、今の「戦争法案」にちっとも関係なく、つまり「自分のこと」ではなく生きている人も当然います。「いや、言葉にしないだけだよ」という人もいるけど、そんなこと言葉にしないとわからないしね。
なので、「平和」の範囲も、限定されるのでしょう。沖縄での戦闘は自分のことと感じるのか? 新宿での爆撃は世田谷の人、自分のことと感じるのか?
「平和」とは地域的、相対的な問題なのでしょうか。生活が苦しくても「平和」なんでしょうか。つまり、どこか「遠く」で戦争がある「だけ」で、自分の生活がそこそこ耐えられるのは「平和」なのでしょうか?
私は、「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本(SEALDs)」だとは思わないし「七十年間に及ぶ平和国家としての歩んできた(安倍首相)」とも思わない。
それが「平和」なら、「平和」なんて欺瞞だし、いらないなあ、と思います。

