「ごめんなさい」にしないように。 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 もうすぐお盆・・・。ちょっと懐かしいのですが、2004年に出版された『ごめんなさい』(株式会社 日本標準 文 山田真理 写真 ブルース・オズボーン)という本があり、そこで私と父(2006年没)の簡単な対談が掲載されています。いろいろな親子の対談が掲載されていて、テーマが「ごめんなさい」なのですが、私と父の場合は、互いへの「ごめんなさい」はあまりないよね、というところから話は始まっています。

 2004年といえば、イラク戦争が始まった頃で、父親といえば、かつてのベトナム戦争の反戦運動でよくベトナムや北欧に行っていたこともあり、そういう取り組みに触れた対談になっていきます。

「僕は、5歳になる息子とはけっこう遊んでいる方だとは思います。まあそれでもね、デモとか連れていっちゃうんだけど。プラカードなんか一緒に作ったりして。『有事法制ハンターイ』なんて、息子は時々思い出したようにいうもんね(笑)。
 一般的には、小さい子をそんな所に連れていくのはどうかとか、判断力のないうちに親の世界に巻き込むのはよくないと言われるかもしれないけど。僕はね、親自身が『いい』と思うものを伝えずに、いったい何を子どもに伝えるんだって思うんですよ。『イラク戦争、反対・賛成、どっちの意見もあるよね』と教えるより、『パパは反対だ』と教えたい。」


 ・・・なんてことを私は話しています。・・・今、もう高校生になっている息子は何考えているかわかりませんけど。この間は、「山本太郎の国会質問、よかったね。最近、会わないの?」とか言ってましたけど・・・。

 若い人たちが国会前に集まり、母親たちが立ち上がり、高校生もデモをする、そんな時代になってきました。考えようによっては、本当にチャンス、そんな希望を感じます。

 私自身は、2004年の段階でも、自分のことして時代の危惧は感じていました。事務所を独立して立ち上げ、同時に、第二東京弁護士会の副会長になり「司法改革反対」を目指していたのが2004年でした。

 「今の社会情勢は親父が戦前にくぐってきた頃のようにキナくさくなってきている。ここをなんとか押しとどめなきゃ。本当に、世代的な意味で、息子たちへ『ごめんなさい』になってしまう。」
・・・・割と、年が離れている分、父とは、仲のいい親子だったかもしれません(笑)

 ま、ジェネレーション・ギャップというのはどんな時代、どんな関係にもあると思います。しかし、戦争をしない、原発を再稼動しない、そういう世界を作ろうという想いが、ジェネレーションを超えて承継されている部分もやはりあると思います。

 もちろん、未来は、若い人のもの、ですが、様々な世代の大きな記憶と知恵と想いを引き継ぎつつ、共に生きていきたいな、と思います。明日から広島に行き、明後日は戦後70年の8.6広島です。