たかが憲法、されど憲法 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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今の憲法だって不磨の大典ではありません。様々な「限界」を持っているし、ある時代の、ある政治状況下において生まれた政治的産物です。

しかしながら、そうであっても、安倍政権がこれを変えたいとすれば、それは何か意図があるわけで、見過ごすわけにはいきません。昨年の7・1閣議決定で明確になったように、戦争をすることができる国にしようとしているからだと思います。
閣議決定で憲法を変えないまま、無理矢理に解釈で変えてしまうわけで、さらに、それに沿った日米同盟における軍事面での協力関係を強化(日米同盟ガイドラインの改定)し、一連の戦争関連法を整理することに勤しんでいます。

それでも、政権は何故、憲法を変えたいのでしょう?

これはあくまで私論ですが、簡単にいうと、私たちを打ちのめす為、だと思います。
安倍政権の強引な解釈改憲のやり方、沖縄での暴力的な振る舞い、などからすれば、憲法を変えずしても戦争をする国に出来るからです。
それでも、ハードルの高い改憲手続きを経てでも、憲法を改正してしまいたいのは、私たちを試しているというか、私たちを「これでいいよな!、お前らも納得したよな!」と抑え付け、反対する意欲を打ちのめすためだと思うのです。

国家権力は、ときに意思を持った私たちを、意思を持ったまま動員し、強要しようとします。これは、まさに「この間の戦争」のときになされたことです。私たちの抵抗する心を折り、打ちのめし、国家のおもうがままに従わせるためです。私は、裁判員制度もそのことだけに意味をもった国家のための動員制度だと思っています。

憲法改正は、もちろん法的な問題であり、政治問題です。日常には直接関わりのないような、その意味で、たかが憲法の事柄です。たとえ憲法が改正されたって私たちの生活は変わらない。同じように生きていけばいい。

本当にそうでしょうか?憲法が変わることにより私たちの何かは本当に変わらないか。
もし、憲法が改正に至った時は、「民主的手続き」を経た以上は、政権は「皆、納得して変えたよね」という点を強調してくるでしょう。「我が軍」ともっと堂々と言ってくるでしょう。
私は、案外、私たちの心のあり方を変える、さらには、生き方にも影響する問題だと思います。プライドに関わるというか・・。

たかが憲法、されど憲法。いわば、政府と私たちの旗の取り合い、そして、その旗は案外、大きな意味を持っているのかな、と思います。私は、政府に旗を渡したくないのです。