人と話をしていて「日本」という言葉を口にする場合、何を指しているのか、何をイメージしているのか、よくわからないことが多く、尋ねることがよくあります。
「日本って、その場合どういう意味? 日本政府のこと? 日本人は、ということ?」みたいな問いです。
どちらでもなく、漠然と「古来からある日本」みたいなことを説明される場合もありますが、政府、国土、国民、歴史などの、どの部分をイメージしているのかなあ、と思います。
しかし、例えば、「日本が豊かになる」「日本の国益のため」などという言葉は、ワザと、そこでいう「日本」の意味を曖昧にし、ごまかすための「用例」だと思います。
トマ・ピケティの『21世紀の資本』によれば、同じ国民の中でも格差は拡大傾向にある、ということですから、たとえば「日本が豊かになる」と言われても、「具体的に誰が?」と問うことは重要でしょう。ありがちな現実としては、一部大企業=法人だけが豊かになり、99%の人々は貧しくなる、ということがあるからです。
「日本の国益」という場合は、もはや、私たち日本の国民の利益とは「別の」国としての「益」が想定されている、と思います。「国益のために国民は我慢しろ」というのが戦時の「よくあるパターン」ですからね。
何かしら「国家」の対立的なイメージ、つまり、排外主義的なキブンが流されている時代だと思います。
自らが「日本はさあ、・・・」と口にするとき、何を指しているのか、よく考えることが、とても大事だと思います。それによって、何を言いたいか、何を思っているかが明確になるからです。とりわけ、その「日本」の中には自分が含まれているのか、それとも対立しているのか。
もちろん、「アメリカは」とか「ドイツは」とか「中国は」とかと言う時も。まあ、多くの場合は、それぞれの国の政府の示す行動方針(つまり国民とは別)を指すのでしょうけど。
漠然と「日本の国益のためには中国との戦争やむなしか」と言うよりも、「日本政府は国益のためと称して日本人を戦争に動員しようとしているのではないか?」と問う方が、わかりやすいと思うのです。