反省・・・他者に対し反省することを求め、逆に、他者から反省することを求められる・・・ということは、よくあると思います。
けれども、「誰かが反省している」と実感し、認識出来る場合は少ないのではないでしょうか。
朝寝坊しちゃったから、これからしないように反省する、というのではなくて、誰かを傷つけた場合の反省。
いじめをした反省、暴力を振るった反省、人を殺した反省、人の物を盗んだ反省、戦争に与した反省、証拠を隠滅した反省・・・
それを行った誰か、もしくは、自分でおこなった「反省の実像」を知っている、認識したことがある、という人は少ないのではないか?
それでも人は反省を求める・・・そして「反省しています」と言う人はいる、「反省しています」と言ったことがある人は多いと思います。
言えば反省したことになるか・・そんなことはないでしょう。
言葉ではない真の反省・・・どんな場合にあるのだろう?
今回、弁護人として、強制わいせつ2件+児童ポルノ製作罪で起訴された被告人に対し、被害者の近い地域からの転居、仕事の変更、賠償金支払いのための自宅の売却、再犯防止治療プログラムへの参加等をしてもらいました。反省を言葉だけではなく、具体化・実質化しようと相談してのことです。
もちろんだからといって、「本当の」反省に至るか、といえば難しいのかもしれない・・・言葉だけではダメ、でも、形だけでも・・・。う~ん・・
しかし、また、仮に心底、魂からの反省ということが現実に生じたとしても、それを認識すること、受け入れること、それもまた難しいことかもしれません。
結局、被告人は実刑。判決当日、被告人は自ら頭を坊主刈りにし、身辺整理をして覚悟して法廷に現れました。彼自身が反省の具体化に向けて自ら行動したことは意味があったと思います。
反省・・・あなたは心の底から反省している人を見たことがありますか?あるいは自分でも。
