ある編集者の生き方 木村亨さんの場合 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 木村さんは、大きな志をもって中央公論社に入社し、ジャーナリズムの世界に飛び込みました。そして様々な執筆者や編集者と出会います。
 その中には、尾崎・ゾルゲ事件の尾崎秀実氏や南方熊楠氏、西田幾多郎氏など今や歴史的な人物もいます。

 とてもエキサイティングで知的な好奇心を刺激する仕事に真面目に取り組み、考え、勉強を繰り返していました。

 当時の日中関係に関心を持って案として提出した『支那問題辞典』も企画が通り、自分の企画本の編集に取り組み、その過程で知り合った細川嘉六氏の招待を受け、温泉旅行に出かけたのが1942年の富山県の泊というところでした。無礼講のドンチャン騒ぎだったようです。
 
 こんなことは、今だってありそうな話ですよね。執筆者と編集者でお疲れ様の打ち上げ・・・問題は、戦時中であり、治安維持法施行下だったという点です。このため木村さんは一旦、徴兵されたり、読書会を開いただけで逮捕されたこともありました。それでも兵役からも「現役免除」を得ることが出来て、再び編集の職に戻るなど真面目に真摯に生きていたのです。

 ところが、その温泉旅行の写真から「共産党再建会議」がでっち上げられ逮捕、そして拷問にあい、日本の敗戦まで未決で勾留されてしまうのです。
 その後、そそくさと有罪判決が下され、時を経ずして裁判所は当該判決と訴訟記録を自ら焼却して証拠隠滅。

 そこから、木村さんの「戦後」の長い名誉回復の闘いが始まったのです。40年近く経って裁判所から「判決や訴訟記録がない」と再審請求を却下されながら・・・


 そして、敗戦後70年・・・今ならありえないことでしょうか? 国は当時から今まで、公式に「拷問」の事実も「判決焼却」の事実も正面から認めたことはありません。認めないまま特定秘密保護法は施行され、国家の盗聴は拡大・容易化されようとしています。

 「ま、自分には関係ないか・・・」と思いますか?

 木村さんもスゴく特別な人ではなかったと思います。ただ、真面目に物事を考え、「侵略戦争に加担しない」で頑張っていただけでした。政府の考えとは対立します。それゆえの「危険人物」扱い?

 すでに戦争国家化に踏み切っている安倍政権下において戦争反対は、「危険」な考えかもしれません。今も国家は「拷問」を秘密にし闇に葬るでしょう。
 なんとかしましょうね!