共謀共同正犯と政治責任 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 刑法の理屈としては、実行犯が正犯であり、それをそそのかしたり(教唆)、手伝ったり(幇助)した者は従犯、というのが原則です。ともかく、実際にやった奴の責任が一番重い、という当たり前の話、です。

 だったら暴力団の親分が子分に構想相手の親分を殺らせても、実行犯の子分が正犯となるわけ?という疑問がわいてくる。
 それでも、そうだよ、言われたからってやる奴が一番悪いんだよ、というのが刑法的には「原則」。

 え~っでもなんだか納得できない、一番悪い奴(=親分)の方が責任が小さいなんて?!・・・ってことで「共謀共同正犯」という判例理論が編み出されました。

 つまり、実行に具体的に加担していなくても、正犯としての責任を問われる場合がある、という理屈です。
 手下よりも本当に悪い奴=首謀者を罰したいというバイアスの思想が導いた裁判上の運用というところでしょうか。

 具体的に事実認定が難しいことが刑事裁判の現実だとは思いますが、それはさておき、社会的にこの発想=企んでいる奴が一番悪い、それにそのまま従った奴より、ということであるとすれば、私たちと政府の関係はどうなんでしょう?

 政府が首謀者? 私たち(主権者)が親分? 外(外国)から見れば、政府のやっていることは私たちの責任に見えるのでしょうねえ。建前上、民主主義で国民主権だから。

 すると戦争にしても、原発政策にしても、日本国民が正犯としての責任をとるということになるんでしょう。いや、政府が悪い、奴らが首謀者だ!と言いたくもなります。

 しかし、いずれにせよ戦争も原発再稼働も、現場の私たちが「実行」しなければ現実化はしません。そこは確か。実際に実行するのは自衛隊たる国民であり、原発労働者たる国民。

 う~ん。仕事だから、命令だから。逆らえないから、仕方ないから・・・。日本のためだから?  
  私たちは何に従って生きているんだろうって考えちゃいますね。だけど、なんにせよ「実行」の責任は必ず自分にかかってきます。頑張りましょう!