あのとき、こう言った(はず)、約束した(はず)、アイツは信頼出来る(はず)・・・・というようなことが世界にたくさんあるので実務法律家の仕事は成り立っているとも言えます。
しっかり、完璧な約束(契約)を完全な意思能力の下に取り交わし、リスク、不利な事実が発生した場合なども全て約束の範囲内、ということであれば、とりあえず法的な争点は減少します。
あとは、前途洋々だった(はず)の相手方の資金力=支払い能力が著しく減少してしまったなど法律的な争点とは別の「回収の可能性」という事実上の問題が残るだけ・・・
実際には、口約束だけだったり、簡単な契約の取り交わしはしたけど、その他のことは口頭で決めた(はず)、とか、アイツは、働くっていった(はず)のに全然働かなかったよ、とか逆に、居てくれればいいって言われた(はず)から、そうしたのにお金払ってくれなかった等々・・・
ということで、自分だけが思っている「はず」で私たちの世界は包み込まれています。自分がなぜそう思っている(思い込んでいる)のか、その根拠を自分の中で検証した方がいいと思います。とりわけ、第三者(たとえば裁判所)に説明する際には。
実際、確かにそういうことがあった、そういう発言がなされた、そういう約束が口頭でなされた、但し記録・証拠は残っていないという場合は数多くあると思います。それは仕方ありません。何もかも完璧に記録・証拠化しながら生きることは難しい訳ですから。
ただ、大事なことは記録化を心がけるべきでしょう。大きなお金が関わる場合、利害が対立することもあり得る場合、もちろん、相手が信用出来ない場合など。
政府はよく聞くと曖昧・抽象的な用語を開発して、なるべく私たちに約束しないようにしています。注意深く聴きましょう。取調べも警察・検察は信用出来ないから、勝手に録音したいですよね。
そのうえで、ともかく、自分で勝手に思い込まないこと。たとえば、「そうはいっても国は私たちに酷いことはしない(はず)だろう」とか。そういう思い込みを利用される危険性が私たちに迫っています。ご用心。