秘密→焼却→責任回避の構図 特定秘密保護法の施行 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 昨年成立した特定秘密保護法が本年12月10日に施行の予定です。これまでも、その問題は指摘してきたつもりですが、日本の「安全保障」に関するもので、行政が秘匿するからねと決めた「特定秘密」については漏洩すると懲役10年とする重い罰則などを定めました。「特定秘密」の適用範囲は曖昧で、行政が秘密にしたいものは何でも入るでしょう。
     http://ameblo.jp/mfb1991/entry-11706475079.html

 そもそも、既に、たくさんの重要な情報=国家の秘密が隠されていた、それにより私たちに害悪が被ってきたの歴史の事実。この点は、戦前も戦後もさして変わりません。国家に秘密がある、ということ自体、民主主義という枠組みの中で考えても変な話ですけど・・・。

 もうすぐ、その特定秘密保護法施行がせまる時代の中、私は横浜事件国賠事件の代理人として被告国と闘っているのですが、そこでの国の姿勢というのは、ホント、な~んも変わっていないんだなあ、と思います。

 国自身は、これまで、戦前の国家行為としての治安維持法下の拷問、そして、その為に判決等訴訟記録も自ら燃やし証拠を隠滅したことなどを公式に認めたことはないのです。すごいことです。

 つまり、国家とは、私を含む大多数の国民と相反する国家政策、つまりは1%側の利益となる政策を実施するためには、情報を秘匿し、責任が追及されそうになれば廃棄するのです。今も昔も変わりません。

 ・・・というか、秘密保護法の施行になり、その気満々、という姿勢がますます見えてきます。「お前ら知らなくていいから、こっちでやっとくから♪後で文句は言わせないけどな」という・・・。

 「秘密」ねえ・・・。秘密っていうのは私的なこと、まさにプライバシーの領域だけの問題ではないかなあ。国が秘密を持つ、ということがピンと来ないけど。

 まあ、大方、日々忙しくて、目の前のことでいっぱいいっぱいで、そんな国の秘密なんて関心も持ってらんないよ、という時代になってきました。私も同じ。そういう時代、国家としてはますますやりやすいでしょうね。

 ただ、国家は、ほんとに信じがたい、無責任の体系を戦前から引きずったままなのだ、という現実を知る機会は多いのです。酷いなあ、醜いなあ、という想いはあります。
 私たち仲間の秘密の領域を拡げましょう。監視されない状況で、私たちが私的に好きなこと話して、情報を交換し、国家に対して私たちの秘密を持つ、私たちの意見や思想を持つ、ということを続けて行くしかないと思います。歴史の過ちをくりかえさないためには。皆で生き残るためには。