いやー不覚でした。
「今日も一日がんばったなー」
とロッカーを開けようとすると
ロッカーの鍵がない。
一日のうちに行ったところは
一通り見てまわってみるけど
やっぱりどこにもない。
「仕方ない上履きを土足に下ろして帰るか」
とも考えましたが
なんだか美しくない。
「ここは覚悟を決めて・・・」
靴なしで帰りました。
まず自転車に乗っていつもの道を帰る。
誰も気づかない・・・
コンビニにいってハーゲンダッツのクリスプサンドを買う。
誰も気づかない・・・
信号待ち。
誰も気づかない・・・
その後も帰り着くまで誰も気づいていないようでした。
考察と仮説
ひとは僅かな変化に気づかないのではないか。
ぼくが靴をはいていようがなかろうが
それはどうでもいいことです。
しかし、例えば彼女が髪型を変えたことに
気づけないのは男として問題でしょう。
それにもしかしたら、
もともとあったものが
すりかえられたり、なくなったり・・・
といったことは
結構フツーに起こっているのかもしれません。
逆に言えばアンテナさえ立てておけば
毎日なにかしら気づくことがあるはずです。
失敗がいろんな価値を生むこともあるのではないか。
ぼくはロッカーの鍵をなくしました。
それは事実であり、失敗です。
でもぼく自身はその失敗を
笑いに変えることができた。
靴がないから靴下のままで帰るなんて、
ましてやそんなやつがコンビニによって
ハーゲンダッツ買ってるなんて
笑えませんか?(あくまで主観ですが・・・)
なんだか妙なおかしさとともに
ハーゲンダッツをおいしくいただきました。
自分が面白いだけじゃありません。
今度はこの話をだれかに聞かせるんです。
ちょっと元気なさげな人、
これから仲良くなりたいと思う人などなど
ひとをすこし和ませて
新しい人間関係ができるかもしれません。
ありがたさに気づく
自分はいろんな支えがあって生きている。
靴のありがたみと
靴下のがんばりを
痛いほど感じました。
靴下にはちゃんとお礼を言っときました。
それに雨が降ってなかった
ありがたいことです。
結論
生きていれば、
どうしてもここは譲れない
という点ある。
だがそれ以外はいい加減でいい。
結局、
失敗も困難も
どれだけ面白がれるかということだろう。
実際
アホですね
でも鍵をなくした自分が許せなくて
帰ってからもなんだか不機嫌で
次の日会った人に
不快な思いをさせる
以前のぼくよりはいいと思うんですがね・・・
どうでしょ