はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
石川啄木
この両手で一体何ができるか。
目指すものが大きいほど
自分が小さく感じられる
自分の両手で抱え切れるものなんて
高が知れている。
だから自分で抱え切れない分は預ける。
こころから信頼している人に。
そして、何か大きなものに。
信頼関係というものを考えるとき
思い浮かべる人たちがいる
北京オリンピック競泳バタフライで
銅メダルを獲った
松田丈志選手と久世由美子コーチ
屋根がビニールハウスでできたスイミングスクールで
練習していた幼少時代から
ずっと二人三脚
失礼ながらもっとすごいコーチはいくらでもいるだろう。
でも本当の信頼関係が二人のあいだにあったから
すごい結果が出せた。
究極的には預ける相手は
だれでも
何でも
いいのかもしれない。
大切なのは
どれだけ
つよく
純粋に
信じることができるか
預けられた方は持てるすべてをもって
自分を信じてくれる人と
自分を遥かに超えた
何か大きなものとの
あいだをつなぐ媒介となる。
そうして考えられないような
ことが起こる。
真にだれかに信頼してもらうためには
そのひとが出会った中で
一番の人間になる必要がある。
何度でも自分に言い聞かせたい。
自分の感覚でものごとを捉え、
自分の思考でものを考えていても
そこに画期的なものは生まれない。
と思う。
ずっと先にいるあの人なら、あいつならどうするだろう。
そうやって考えて、動いて、試行錯誤しているときに
より上の世界への扉が開かれる。
あこがれる対象がある人は強い。
でも、あこがれているばかりでなく
人のあこがれの対象になれるようにすべきだ。
そこでもやはり自分のあこがれている人の存在が重要となる。
おそらくその人も
もっと前にいるだれかにあこがれているからだ。
じゃあ
ずーっと先まで進むとどうなるのだろう。
どこかで収束するのだろうか、
つまりトップランナーは存在するのだろうか。
それとも無限にあこがれの対象があらわれるのだろうか。
ぼくの勘ではトップランナーは存在する。
涼しい顔して、そこにいるんだと思う。
いつかというか近い将来
自分自身の目でたしかめてみたい。