著者は

編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。

科学から芸術に及ぶ多彩なジャンルに取り組み、

独自の情報文化論、日本文化論に定評があるそうです。

7月4日の「情熱大陸」にも登場していたようです。



「科学、哲学その他さまざまな分野において20世紀までで

あらかたの考え方は出尽くした。

だから今度は編集によって

それらを捉えなおしてみたい。」

というようなことをおっしゃっているのをテレビで拝見して、

「おもしろそうだ!」

と思っていたのがこの本を手にしたきっかけのひとつです。





内容はざっくりいうと

著者にとって読書とはどういうものか

著者流の読書術

情報化と読書

といったことについて対談形式でまとめられています。




ポイントを抜き出して並べるだけで内容が伝わるタイプの

の本ではないと思われますが・・・。




まず本を読むということは服を着たり、食事をしたり

するのと同じようなことであるということ。

多読、少読、粗読、精読、感読、蛮読、

風呂の中で読む、寝転んで読むなどなど

いろいろな読み方があっていいのだということ。

またその日の気分で読む本や読み方を変えてよいということ。

自分の「好み」が反映されるべきというわけです。




おもしろかったのが

著者が「明治の小説を読むときにはゼッタイ、渋茶と塩煎餅を用意する。」

「集中多読のときには服装も変えた」ということ。

「ラフなセーターでニーチェを読むのと

ワイシャツにベルトをしてニーチェを読むのとでは」

違うそうです。




それから本を読むという行為がいろいろものの仲立ちを

するということ。




例えば著者は自分の周りにいる自分より

「深い」人に本を紹介してもらうのを勧めています。

また著者が読書について語るときに

いろいろな人たちとの出会いを抜きにはできない

ということからも本が人と人をつなぐ役割をすることがわかります。




一人で本を読んでいるときにも

脈々と続く読書の歴史に知らず知らずのうちに

加わって、その歴史に改変を加えている。



一冊の本から他の本につながっていったり

ある人物の生き方、

文化や歴史といったものに迫っていったりする。




本を読むことはコミュニケーションなんですね。

そしてそれは編集を抜きには語れない。






他にも読書体験を[読前、読中、読後」にわけて

「三冊の並び」や「読む前に目次をチェック」

「マッピング」、「マーキング」,

「掩燗(えんかん)」(書物を少し読み進んだら、いったん

本を閉じて、内容を追想し、あたまのなかで

トレースしていくもので吉田松陰も取り入れていたそうです)

など興味深いことがいろいろ書かれていて

かなり密度が大きい内容となっています。





著者による本の紹介

「千夜千冊」も注目です。

興味のある方は

ネットで検索してみてください。




では。




最近は暑いのであまり外に出ず

家に引きこもりがちです。

一日誰とも話さなかったという日もざらです。(^^ゞ




久しぶりに友達と話しながら気づきました。

自分の話し方は雑だなぁと。




どういう点が問題なんだろうと考えてみました。

一番重大なのは速さと間の取りかたではないか

という結論に至りました。




話すのが速いとやはり相手の様子や発言の内容などを

考えながら話せません。

間を考えなければ言いたいことを効果的に伝えられませんし

相手も話しづらい。

何より考えてものを言うのが難しくなる。





ではどうればいいのか

現段階での回答は呼吸が鍵を握るのではないか

ということです。



卵がさきか鶏がさきかは取り合えずおいといて 

早口でまくし立てているときは呼吸が浅くなっています。

緊張状態にあるときもそうではないでしょうか。




呼吸をゆっくり深いものにする。

すると肩の力が抜けて周りが良く見えるようになります。

そして自然と考えもまとまってきます。






体の状態や外的な要因により思考が変化するというのは

不思議な気がします。




たとえば朝と夜では朝のほうが楽天的で

頭がすっきりしてる気がします。





また散らかった部屋より整頓された部屋のほうが

思考がスムーズに流れ、気分が明るいし

体調もいい。




食べ物だってそうです。




一番わかりやすいのは音楽かも知れませんね。





「調子がわるいな!」と感じたら

外に目を向けてみるのもひとつの手かもしれません。






では。

正直なところ

この本を第一回目に持ってくるのはどうかと思いましたが

こういう題名の本によくある

センセーショナルなことをいって煽り立てるようなものとは

一線を画すものだと思うのでご安心を。





著者はリカード、マルクス、ワルラスを基軸にした

動学的定式化の研究で国際的にも注目された

数理経済学者だそうで

自分のいるイギリスからみた日本についても

意見を述べてきたそうです。






2050年の日本はどうなっているかを見据えて

1990年代末に書かれたものです。

注目すべき点は一般的な経済学の手法によってではなく

社会を構成する「ひと」に注目して予測を立てたという点だと思います。




大雑把に言うと

「社会や経済は人間という土台の上に建てられた上部構造にすぎない」という考えの下、現在の人口をみて

「(当時)現在3歳、13歳、18歳の人は2050年には

それぞれ55歳、65歳、70歳になっている。

官僚のトップ、各会社の社長、

政界の重鎮がその年齢だとすると

現在の13歳、18歳の人をみて

2050年にどんな人間になっているかを推定すれば、

日本社会の土台の

主要メンバーを推し量ることができ

日本の姿が予想できる。」

というふうに論が進んでいきます。





その中で人間に影響を与えるものとして

戦後教育や文化的な背景、精神性から

政党や産業、歴史に至るまで経済という枠組みを超えた

包括的な日本社会論を展開し、

唯一の救済策として

「東北アジア共同体」構想が提案されます。




全体を通して

日本の問題点を鋭く指摘していますが

中でも戦後教育と社会、

戦後日本の急成長についての

分析は「なるほど。」

と考えされました。







本の中で指摘されていることは

もちろん興味深く

反面耳のいたいことでしたが

「自分と違う視点でものを見て

違う思考でものを考えているひとの意見は

やはり貴重だなぁ」痛感しました。

(月並みですが・・・)



違う年代の人、海外のひと

特に自分とは全く異なる教育を受けてきた

一流のひと指摘されないと

気づかないことがやっぱりある。

そして、それはしばしば致命的なものである。

そんな気がしました。


それに学者としての著者の

志の高さを垣間見ることもできたきがします。





現在社会で活躍されている方はもちろん

学生、特に現在夏休み中で時間のある

大学生のみなさんは必ず読むべき一冊だと思います。