こんばんは

今日は生あたたかい風が吹き荒れる

月も星もない夜となりました。















読書についてある作家が

「読書というのは読んですぐ役に立つものではなく

二年後、三年後に効いてくるものだと思う」と言っていました。













「何のために本を読むのか」

という問に対する答えはさまざまあるかと思いますが

僕自身のことを考えると

何かのきっかけを求めて本を読んでいるのだと思います。















単に知らなかった知識を得るということもそうですが

本のなかに提起されている問題と出会い考えるきっかけをもらったり

自分の中の言いようのない気持ちを上手く言い表してくれる一言や

自分でも何かはわからないけどそのときの自分に必要な一言

を求めていることもあるかもしれません。















「きっかけ」を自分でわかっている場合とわからずに「きっかけ」をもらうことがあるわけです。



















そういうふうにきっかけをもらうと

自分の中がかき回されるような気がします。

そして、時間とともに少しずつ沈殿して堆積してくるものが

あるはずなんです。

読書が二年後、三年後に効いてくるというのは

そういうことなのかなぁと思ったりしています。



















今日は予想していないところで

大学の先生から

自分でも気づけてなかった

けれどすごくタイムリーなお話を聞くことができました。















どちらかというとそう頭が切れるというふうなタイプではないのだけど

もうすぐ退官ということもあるのか

自分の経験だとか自分の思いみたいなものをすごく真摯に

伝えてもらった気がしてすごく響いて、

こういう人のこういう言葉こそ大事にすべきなんじゃないかとか

言葉というのは気持ちだとか思いを載せて運ぶものでしかなくて

どんな思いを載せるかが大事なんだなという気がしました。













先生の全力投球をどれだけ受け止められたのかは

わからないですが、

もう少し時間をおいて、一方で自分に必要な努力しつつ

何が沈殿してくるか待ってみようと思います。







右に行き過ぎるでもなく



左に行き過ぎるでもない




真ん中




いつも中庸を見つけよう





昨日の夜バスを待っていて

やけに月が明るいなと思い見上げると

何のことはない街灯でした。







ちょうど、阿部公房の「砂の女」を読んでいたので

「希望」とかそういうものと月の明かりを結びつけて考えました。









「猿猴捉月」という言葉がありますね。

猿が水面に映った月を本物と勘違いして手を伸ばすという。

手を伸ばし過ぎればおぼれて死んでしまうのかもしれません。








できるはずのないことを追いかける無知や無謀を戒める言葉のようですし

決して手の届かないと知っていて

それでもなおかつ手を伸ばさずにはいられないはかなさみたいなものを

言っている言葉のようにも思えます。









以前、第二次世界大戦中、ナチスのユダヤ人強制収容所での体験を綴った

本を読んだことがあります。





それによると、毎年クリスマスの後にどっと死人が出るのだそうです。

どういうことかというと

何の根拠もなく、そんなことありえないのだけど

「クリスマスには苦しい収容所の生活から解放されて、

家族と一緒に過ごすことができる」というような

妄想というか「希望」を収容者たちは無意識に抱いてしまうそうなんです。






そうしてクリスマスがやってくるわけなんですが

当然、家に帰ることも

家族に会うこともできない現実を突きつけられるわけです。

すると、いっぺんに心が折れてしまったようになり体の方まで衰弱してしまい

苦しい労働と収容所の劣悪な環境も相まって亡くなってしまうというんですね。








また、同じ本の中にはそうした絶望的な条件の中で

凛として生きる人たちの姿も描かれています。








そのような人の一人が

「どうしてそうしていられるのか。」と尋ねられると

「自分が苦しんだだけ自分の愛する人が幸せになるように神様にお願いしたからだ。」

と答えるという場面があります。

自分が苦しめば苦しむほど、自分の大切な人は幸せになる

こんなに絶望的な希望の抱き方もないんじゃないかと思います。










なんだかわけがわからない世の中で

救いのなさみたいなものが

そこらじゅうに転がっている気がしますが、

生きていくためには、自分の中に寄りかかれる

信条というか「希望」と言うかそういうものがどうしても必要で

偽物とわかっていてもしがみつくかずにはおれないようなところがあるのだと思います。









だからこそ何を大切にするのかということを考えなければならないし

難しく考える必要はないのだろうけど

自分の中に何か柱となるようなものを立てなければならないなと思ったところでした。