お久しぶりです。

久しぶりの更新を






笑われるかもしれませんが

最近、よく「さすがにそろそろ独り立ちしていかなくては」

と考えます。

自分たちが普通に考える社会で生きていくためには

大なり小なり何らかの集団の一員になる必要があるはずです。






集団に属するというのはたとえばパズルのピースになるということではないかと思います。

出っ張っいるところもあればへこんでいるところもある。

他の人に必要ななにかを提供し、自分は他の人から何かをいただく。









独り立ちしていくってことは自分で自分の居場所を見つけて

そこに上手くはまってやっていくということじゃないかと思います。







もちろん上手くはまることが正しいこととは限らないし

それがすべてではないでしょうが充実してると感じることができたり

毎日が楽しく感じられるためには

自分をどんなところにどうフィッティングさせていくかということが

大きなことではないかと思います。









というと

「どう個性を打ち出していくか、他の人と自分をどう差別化するか」

みたいな話になりがちで、どうしても

「自分」というものが膨れ上がっていくような気がしますが

もともとは相手ありきの話なのですから

「自分」を小さくしていくことの方が本質的なような気がします。








自己主張しないでただいつもニコニコしてるみたいな

安直な方法ではなく本当に自分を小さくしていくとはどういうことなんでしょう。










小川洋子さんの「猫を抱いて象と泳ぐ」という小説を読んでそんなことを考えていました。









小川さんといえば「博士の愛した数式」が有名かもしれませんね。

「博士・・」の一部分ををより深く掘り下げたようにも思えます。

何にせよ大事に箱にしまっておいて時々そっと取り出してみたくなるような

小説をよむ歓びみたいなものを感じさせてくれる稀有な小説ではないかと思います。







連休も残り少ないですが

時間がある方は是非読んでみてください。

充電切れのときはどうすればいいんだっけ??







久しぶりな感覚・・・

体の内側がずーんと重くて

自分の周りのことがぼんやりしてくるというか








幸か不幸か珍しくごちゃごちゃ考える気にもならない。

なんでいつもこううまくいかないかなぁとは思うけど(笑)








調子のいい時もあればそうでないときもある。

いつもいつも勇ましく戦ってられることばかりじゃない。

99歩目までは後ずさりすることがあるかもしれない

でも、最後の一歩で絶対踏みとどまる。

最後の1パーセントのところで差しのべられた手をつかんで抜け出してみせる。








矜持なんてかっこいいものじゃないけど

ひどく情けないときでも自分の中にだめになってない部分が残るのに気づく

それはたぶん自分に備わっているもの、自分に属してるものというより

人からもらったののような気がする。







 


そして、それに見合うだけの自分でいたい。

そのことで損をしても

人から相手にされなくても。

大きい流れに流されてる中でも・・・

最近出たある漫画に登場する女の子について・・・

その女の子は通っている中学校でいじめを受けているんですが

いろいろあってやっといじめがひと段落したとき

「わたし、あの子たちのこと許さなくていい?」

というような言葉を漏らしました。







あんなに自分や自分の友達にひどいことをしたにも関わらず

それを認めることさえせず

学校を卒業して関係がなくなってしまえば

自分がいじめをしていたことなんか忘れて

楽しげに笑い、幸せになっていくのだろう。









あの子たちは自分のことを忘れるだろう。

でも、わたしは絶対にあの子たちのことをわすれない・・・

(漫画全体としてはそう暗い話ではないんですが(笑))









過去や自分のこころの傷にとらわれていても

何も変わらない、変わらないどころか

どんどん悪循環に陥ってしまう。







そう深く気づかされてきたのでどんなことでも許そうとしてきました。

もちろん相手に直してほしいところがあればしっかり伝える。

だけど、自分のこころが広くなればどんなことも気にならなくなって

何にも煩わされることなく泰然自若としていられるように思っていました。








だけど、だんだん許せなくなってくる、

「いくらなんでもそれはないんじゃないのか」

「人をなんだとおもっているのか」

何度も何度も誠意を尽くし、許そうとすればするほど

そして、それを踏みにじられるように思えるごとにだんだん許せなくなってくる。











「許せない」という気持ちはいけないもので

抱いてはいけないもののように思っていましたが

最近は違うのかもしれないと思うようになりました。







ひどく傲慢かもしれませんが

高い理想や意識を持とうとすればするほど

人のつまらないところが目につくように思えます。(それを気にする気にしないは別として)

「許せない」という気持ちは自分の持つ基準からみて

「相手のしていることは許されないことだ。」と感じることなのではないかと思います。

もしそうであるなら「許せない」のは多少なりとも自分の基準をもっているからこそできること

なんじゃないでしょうか。










何をされても、ただ笑って許しているというのは一見いいことのように思えるけれど、

「許せない」という感情を冷静に見つめることが必要なんじゃないかと思います。

そうすることで初めて、その許せない相手とどう折り合いをつけていくか

許すことができない自分とどう折り合いをつけていくか

ということに目を向けることができるようになり

そこに、知恵や工夫、成長のヒントが隠されているのではないかと思うからです。

そして、最終的にはやはり許すことができるのがいいと思います。









うーん・・・