いやぁ「地雷原を歩くのってこんな感じかな」

という二日間でした。(笑)

胃が・・・(´_`。)










それがどんなに小さなことであっても

「変わる」ということには

とてもエネルギーの要ることじゃないでしょうか








そこで大切になるのは

信じることができるものがあること。





あるひとにとっては

「自分はこう在りたい!」という信条かもしれない。

また別のひとにとっては

すべてを預けることができるひとかもしれない。

宗教的なよりどころを求めるひともいるかもしれない。









絶対的な安心感。

こころの奥にある、

なんだか「すぅー」っと力が抜けていくような

そして、「絶対、大丈夫だ!」と確信させてくれるような

あたたかいもの。










行き詰っているひとの内面もそうですし、

たまに出会う嫌なこと、

「不運だ!」と思えるようなことでもそうですが

宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」に出てくる

「クサレガミ」のようなものなのかなぁと思ったりしています。

(↑訳あってどろどろのヘドロを固めたような姿になってしまった神様)







もともとは善いもの

けれど、それが本来の姿でなくなってしまっている

といったところでしょうか。








本人が汚れを一番、実感していて、

でも、どうにもならなくて、

自分ではもう訳わかんなくなっちゃってるんですね。








どんなに泥にまみれていても

軽ーく、やさしく受け止める。

すべてはそこからはじまる気がします。










ほんとうにすごいひとは

悪いひと、不運なんてものの中にさえ

光を見出すことができるのだと思います。








ほんとに微々たるものかもしれませんが

受け止められるだけ

受け止めていきたいと思います。


















つくづくと



過ぎきし方を見返れば




神の護りのある身なりけり









では。


「逃げちゃだめだ・・・逃げちゃだめだ・・・逃げちゃだめだ。」

というのはあまりに有名なせりふですが

やっぱり逃げてますねぇ。




いかにも殊勝な口上を並べて、

「どうだ!」と言わんばかり。

闘っているつもりなんだろうけど

実際は旗色を窺いながらまずくなると

すぐに引き返してくる。

戦場にいるだけでは意味がない。








自分のだめなところを並べ立て

自分の弱さと闘っているつもりなんだろうけど

結局、「自分はだめなんだ」

といって楽になっているだけ。







「努力している、苦しんでいる」

そういう自分が好きなだけで

結局、問題は何も解決していない。

努力に逃げている。






失礼しました。





油断すると、すぐにやられてしまいます。

実に巧妙ですから。





やっぱり、最終的な事実としてどうなのか。

ということに焦点を当て、

定量的な指標から考えるべきですね。

こういったことについても。






それ以上にもっと本気で燃えるべきですね。

余計なことを忘れるくらい。

邪魔するものはすべて焼き尽くすくらい。







では。


ひとから自分がどう思われているかを

あまり気にしない性格なんですが

「結構ひとは自分の気づかないところで、

しかも、細かいところまで良く見ているな!」

と思い知らされているところです。







ひとの目を気にしすぎることが問題なのは

いうまでもありませんが

ひとからどう思われているかを意識することは

どう振舞うことが相手にとっていいのかを

自分なりに考えることにもなるので

大事なことだと思います。




「ひとからどう思われたっていい」ということと

「ひとはどうなってもいい」ということは想像以上に近い気がします。









「見られている」

ということでもうひとつ。





「このひと自分のこと見ててくれたんだ」

ということが最近、よくあります。

自分で勝手に相手のイメージを

作り上げてしまうのは

ほんとに恥ずかしいことですね。







自分のことを気に掛けてくれているひとがいる

それだけでもう満腹です。(笑)

ありがとうございます。






ひとからどう思われているかということに限らず

いいのか、悪いのか

今の自分には知りようもないことがあるとしたら、

いい方に懸ける。




そうするのが一番いい気がします。