それぞれ目指す自分の姿だったり

正しいと信じているものがあって

大事にしたいものもいろいろある。






だけど、あれもこれも同時に大事にすることは難しくて

大事にするのは一つが精一杯

どれを選んでもたぶん何かが欠ける。










何をとるのか

それは別に理想がどうとか思想がどうとか

そういう話ではなくて一日なら一日どう過ごしたか

どう振る舞ったか、どんなことを言ったか

というところにかかわってくると思います。








後悔のない人生なんてたぶんないけど

一日一日の積み重ねが一生なのだから

どういう一日を過ごすか

それこそ自己表現じゃないかと思います。







ブログやツイッターといったツールの面でも

社会の流れのようなものからいっても

自分をどう見せるかどう表現するということについて

意識しているかどうかに関わらず考える機会が増えている

気がします。







そういう時だからこそ表面的にどうだということから

一歩進んで考えたいと思います。




20歳でマケドニア王となり
東へ東へと戦いに明け暮れながら
広大な帝国を築いた若き征服者アレクサンダー







彼が古代フリュギアの首都ゴルディウムに侵攻したときのこと
ゴルディウス王の時代から
だれひとりとして解いたもののいないという
たくみにからませられた結び目のことを聞きます。







すぐにそこへ案内させ
その結び目をしげしげと見つめ
この問題を解いたものには、大きな成功と遠く響く名声とを
与えると約束した神託のことを考えると、
彼は時をおかず決意し、剣を抜き、
結び目を真ん中で断ち切りました。









兵たちは若い王の知恵と独創性をたたえます。
いかにも彼らしい象徴的なエピソードです。









でも何か違和感を感じてしまう。
本当にそれが正しいのか






以前読んだそんな話を思い出しました。






たとえそれがどんなに勇ましく、独創性に富んでいても
「まったく、すべてたわごとだ。いつまでぼそぼそ言っているんだ。
ぶった切るもが一番筋が通っている。」というのはなんだか違う気がする。
すぐに解けなくても、究極的にはたとえ結局解けなかったとしても
結び目は断ち切るものではないのかもしれない。








自分で言うのもおかしいですが
最近枯れてきたかなぁとよく感じます。
年取ったかな(笑)

































I want to live,
I want to give
I've been a miner for a heart of gold
Is these expressions I never give?
It keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old




生きてゆくよ
与えるられるようになりたい
ずっと金の心を探す坑夫だった
口になんか出さなかたけど
それを追い求めたい
金の心を探し続けるんだ
そうやって 老いていくんだ




I've been to Hollywood,
I've been to Redwood
I've crossed the ocean for a heart of gold
I've been in my mind, it's such a fine line
That keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old





ハリウッドにもいった、
レッドウッドにも行った
大洋も渡った
素晴らしいことば
金の心を求めて
さがしつづけるんだ
そうやって年老いていくんだ





Keep me searching for a heart of gold
You keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old.
I've been a miner for a heart of gold.





君がいるから私はやさしい心を求め続ける
君がいるから私はやさしい心を求め続ける
そして年をとっていく
私はやさしい心を求める者だ








そう久しぶりでもないですが今日は長めの更新でした。

いつも表には出てこないし、自分でも気づかなかったけれど

「なんだか楽しくないな」

「自分ってこんなもんなんだろうか」

「自分は幸せにならないな」という気持ちが

こころの深いところに隠れていた気がします。

そして、それが自分なのだと思い込んでいました。









しかし、掃除や整理整頓を意識したり、

食事や自分の脳内会話、言動に注意を向けるようにしていたためか

最近、「なんだかおかしくないか」と気がつくことが増えたように思います。








変化というにはあまりに小さいかもしれないけど

前とはどこか違う。

ごまかしに気づけたり、

右足、左足、右足・・・と止まらずに次の一歩が続くようになってきました。











自分を愛して大事にするということは

思いのほか難しいのではないかと思います。









ついつい散らかった部屋で不規則な生活をしたり

食生活が乱れたり

何かあれば自己卑下して問題と向き合わなかったり









自分自身や自分の問題のことをごまかさないこと

自分の進みたい方向に進むためにはシビアにもなれること

素敵だと思える人たちの中に身を置くこと








身体的にも精神的にも自分を大切にして

あたたかく、ぴかぴかと輝くようにしてやること。

それでいて涼やかであること。







深く深く自分自身を愛することができたとき

自分の運命が動きだし

周りの人を安心させるような人になるのかもしれません。