-バラバラ殺人&…-
前途した環境下にあり、
相手(妹)に重度の落ち度があったとして、
突発的な感情により結果として
殺めてしまう事まではわかったとしても、、
その遺体を包丁やのこぎりで…。
というのはやはり奇怪だ。
(報道されているその詳細な
処置及びその後にも疑問が残る)
バラバラ事件の際にいつも想う事は、
あたしのバラバラ経験は幼少の頃の
アリやセミ等の昆虫に対しての行為であり、
あたしに限らず友達は皆やっていた。
目の前で息絶えていく生物を幾度と見た。
しかし自身の成長と共にそういった行為は
”不快”と認知され自然と抑制される。
バラバラ殺人に見られる加害者においては
そういった経緯を辿っていないため、
それを抑止する機能が伴っていないのではないか?
それは今回の加害者に関わらず、
多くの若者にも通じるところはないか?
発展した都市環境下では所有生物の生と死が
あまりにも人々から遠過ぎる。
そういった光景は人間が本来持つ”残虐性”を
抑止する効果を人間自ら破棄したようにも思えてならない。
あまりにも素人的な考えで申し訳ないが
ただ、この事件を”病理的”であったと簡単に片付けては
何も解決に繋がらないような気がして…。
(最終的にはやはりそうなるのか?)
-親として-
どうあれ、愛するわが子が加害者にもなり
そして同時に被害者にもなったわけで…。
その胸中は想像以上に辛いものだろう。
きっとこれからメディアではよくある親の躾やなんや…
つまり責任について取沙汰されるんだろうか?
正直そういった事には今はあまり興味はない。
あたしも以前は、特に神戸の件の際は
両親の書いた
手記なんかを読んだりもした。
”普通に育てた”とされる出版側の意図とは裏原に
その内容はあまり普通と言える内容ではなかった。
だからといって殺人鬼が育つとは勿論言えない。
それはあまりにも飛躍しすぎる。
親も人間だし、長い育成の過程では間違いもあるだろう。
けれど子供は家庭だけで育つわけじゃない。
親の目の届かない所で幾らでもその(人格形成の)
火種は与えられるはずだ。
社会のせいにするのもあまり好きではないけど、
それも否めないと感じる。
やはり生き難い時代だと…。
してあたしも親という立場になろうかという
境遇(?)、年齢でふと考える。
果たして自分に”殺人者に育てない”事が出来るだろうか?
言葉にしてみればなんと愚問であろうか。
しかしそれを”愚問”と簡単に笑い飛ばせない
自分が居る事も事実だ。
もはや自分が育った頃と同じ様には育てられない。
常に変化する時代に応じてカスタマイズしなければ。
それを誤るとどうなるだろう?
いや、それは杞憂か…?
ただ思うのはいずれも子供がどうゆう形であれ、
自身の存在価値を”正しく”見出せる様に
サポートしたいものだ。
最後に被害者のご冥福をお祈りいたします。
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