あたしが物心ついた頃から足が悪かった祖母。
いつしか病床で過ごすようになり、
ここ10年近くは会う事も許されなかった。
会えない理由は認知症…
といってもその言葉が齎す負のイメージとは違い、
至って軽い記憶障害(だと思う)。
具体的には孫であるあたしを常に5歳児位に認識してると言う事。
母が看病に訪れる都度、家に残された幼い孫を気遣うのだと。
そんな祖母に現実のあたしが訪れたら…
5歳児ではなく、数年の後に不惑を迎えようとしている孫。
それこそパニックになるのでは?
というのが両親が下した判断。
日々看病を続けた両親。
その両親が決めた事に異論はない。
現にそうしてここまできたんだ。
でも心のどこかで…それが果たして幸せだろうか?
と思ってみたりする自分も居る。
無論、常に5歳児の孫を持つ祖母は幸せに違いない。
日に日に成長を続ける幼い孫の姿。
彼女の人生で一番幸せな時だったのかもしれない…。
穏やかな温もりの中、彼女は日々を過ごしているのだ。
そのままそっとしておきたい…。
そんな両親の気持ちもわかる。
しかし迷ってしまう。"今"のあたしを見る権利だって…
密かに信じていた。その時、奇跡が訪れる事を。
何を言わなくとも大きくなったあたしを理解し、
きっと微笑んでくれるに違いないと。
歳を追う程に亡き祖父の面影を強く残すあたしの姿を…
それだって、彼女にとって幸せには違いないだろうに…と。

~古里の穏やかな訛りのように
 ゆっくりと焦って直走る~

結局それを実現することはできなかった。
思えば3年前、ココで会ったのが最期になった。
享年91。

怒れる小さな茶色い犬-101108a