流れる景色が徐々に速度を緩める。
止まった景色の中に君の姿を見つける。
僕は思わず目を背ける。
君は気付いただろうか?
ドアが開くと降りる人の後に君は乗り込んだはずだ。
しかし幾ら待っても君が近くに来た気配はない。
きっと反対側の席に向かったのだろう。
それでいいと思った。
君は気付かなかったのかもしれないし、
気付いて”あえて”そうしたのかもしれない。
あの時始める事を拒んだのは僕の方なのだ。
この成り行きをあえて覆すつもりはない。

しかしほんとにそれでいいのだろうか?

思えばこの日、この時間に
僕がこの車両に乗り合わせているのは
色んな偶然、言い換えれば必然の結果であり、
確率論で言えば天文学的な数値になる。
一生かけて起きるか否かの瞬間だろう。
職場を離れる時忘れ物を取りに戻ったこと。
結果、同僚と帰ることになり駅までの歩幅を変えたこと。
電車の切符を買うからと改札で別れたこと。
そして同じ様な君の今に至る選択と行動、、
その全てが今、この状況を生み出している。

僕の目的の駅に着いた。
あれから随分時間が経っていた。
もちろん君の目的の駅はわからない。
もしかしたら途中下車したかもしれない。
僕は1度だけその成り行きに自分の”意思”を加えた。
座っていた席から近いドアではなく、
君が向かったと思われるドアから降りるという選択。

君の表情が僕を認知した事を僕に伝える。

それ程時間を割けないことはお互いが理解している。
久しく会わなかった者同士がとりあえず交わすような
会話を僕らも交わすだけだ。
君の状況は知っている。噂で聞いた。
しかし僕はあえて”それ”に触れたりしない。
改札を抜ければ僕らは別々の方向へ向かう。
夫々を受け入れてくれる場所へ向かうのだ。

別れ際、君は得意げに左手を見せた。
僕が伝えなければいけなかった言葉は、
今の二人にはもう必要ない…。



古内東子|魔法の手