禅宗は 又 此(こ)の便を得て持斎(じさい)等となって人の眼を迷はかし、たっと(貴)げなる気色(けしき)なれば、いかに ひがほうもん(僻法門)を い(言)ゐくる(狂)へども失(とが)とも をぼへず。禅宗と申す宗は教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者(かしょう そんじゃ)に ひそかに さゝや(囁)かせ給(たま)えり。されば禅宗をしらずして一切経を習うものは犬の雷(いかずち)を か(咬)むがごと(如)し。猿の月の影を と(取)るに に(似)たり云云。此の故(ゆえ)に 日本国の中に不孝にして父母にすてられ、無礼なる故に主君に かんだう(勘当)せられ、あるいは若(じゃく)なる法師(ほっし)等の学文に ものう(懶)き、遊女の ものぐる(物狂)わしき本性に叶(かな)へる邪法なるゆへ(故)に、皆 一同に持斎になりて国の百姓をく(喰)らう蝗虫(いなむし)とな(成)れり。しかれば天は天眼を いか(怒)らかし、地神は身をふる(震)う。
(平成新編0854・御書全集0274~0275・正宗聖典0201・昭和新定[2]1259~1260・昭和定本[2]1032~1033)
[建治01(1275)年06月10日(佐後)]
[真跡・玉沢妙法華寺外四ヶ所 身延曾存(70%以上100%未満現存)]
[※sasameyuki※]