此(こ)の身(み)のぶ(延)のさわ(沢)は石なんどは おほ(多)く候(そうろう)。されども かゝるものなし。その上 夏のころ(頃)なれば民のいとま(暇)も候(そうら)はじ。又 御造営(ごぞうえい)と申し、さこそ候(そうろう)らんに、山里の事を をも(思)ひやらせ給(たま)ひて をく(送)りた(給)びて候。所詮(しょせん)は わ(我)が をや(親)のわか(別)れの を(惜)しさに、父の御ため(為)に釈迦仏・法華経へ まい(進)らせ給ふにや、孝養の御心(みこころ)か。
(平成新編0824~0825・御書全集1511~1512・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1213~1214・昭和定本[2]0988)
[建治01(1275)年05月03日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]