但(ただし)天台と真言との勝劣に於(おい)ては誑惑(おうわく)と知って而(しか)も分明(ふんみょう)ならず。所詮(しょせん)末法に贈りたま(給)ふか。此等(これら)は傍論(ぼうろん)たるの故(ゆえ)に且(しばら)く之(これ)を置く。吾(わ)が師 伝教大師、三国(さんごく)に未(いま)だ弘(ひろ)まらざるの円頓(えんどん)の大戒壇(だいかいだん)を叡山(えいざん)に建立(こんりゅう)したまふ。此(これ)偏(ひとえ)に上薬(じょうやく)を持用して衆生の重病を治せんと為(す)る是(これ)なり。
(平成新編0781・御書全集1030・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1144・昭和定本[1]0900)
[文永12(1275)年03月10日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日向筆 岩本実相寺 日法筆 岡宮光長寺 日澄筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]