爰(ここ)に愚人云(い)はく、首題(しゅだい)の功徳、妙法の義趣(ぎしゅ) 今 聞く所 詳(つまび)らかなり。但(ただ)し此(こ)の旨趣(ししゅ)正(まさ)しく経文に是(これ)を の(載)せたりや如何(いかん)。聖人(しょうにん)云はく、其(そ)の理(ことわり)詳らかならん上は 文(もん)を尋ぬるに及ばざるか。然(しか)れども請(こ)ひに随(したが)って之(これ)を示さん。法華経 第八 陀羅尼品(だらにほん)に云はく「汝等(なんだち) 但(ただ)能(よ)く法華の名(みな)を受持せん者を擁護(おうご)せんすら 福 量(はか)るべからず」と。此の文の意(こころ)は 仏、鬼子母神(きしもじん)・十羅刹女(じゅうらせつにょ)の法華経の行者を守らんと誓ひ給(たま)ふを讃(ほむ)るとして、汝等 法華の首題を持(たも)つ人を守るべしと誓ふ、其(そ)の功徳は三世了達(りょうだつ)の仏の智慧も尚(なお)及びがた(難)しと説かれたり。仏智の及ばぬ事 何かあるべき、なれども法華の題名受持の功徳ばかりは是を知らずと宣(の)べたり。
(平成新編0406~0407・御書全集0498・正宗聖典----・昭和新定[1]0618・昭和定本[1]0387~0388)
["文永05(1268)年""文永02(1265)年"(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]