去(い)ぬる八月の比(ころ)、愚札(ぐさつ)を進(しん)ぜしむるの後、今月に至(いた)るも是非に付け返報を給(たま)はらず、鬱念(うつねん)散(さん)じ難(がた)し。怱々(そうそう)の故(ゆえ)に想亡せしむるか。軽略せらるゝの故に 此(こ)の一行(いちぎょう)を慳(おし)むか。本文に云(い)はく「師子(しし)は少兎(しょうと)を蔑(あなど)らず大象を畏(おそ)れず」等云云。若(も)し 又 万一他国の兵、此の国を襲ふ事 出来(しゅったい)せば、知りて奏(そう)せざるの失(とが)、偏(ひとえ)に貴辺(きへん)に懸(かか)るべし。仏法を学ぶの法は身命(しんみょう)を捨て国恩を報ぜんが為(ため)なり。全く自身の為に非(あら)ず。本文に云はく「雨を見て竜を知り 蓮(はちす)を見て池を知る」等云云。災難 急を見る故(ゆえ)に度々(たびたび)之(これ)を驚かす。用(もち)ひざるも而(しか)も之を諫(いさ)む。強[細雪注・以下欠]
(平成新編0370~0371・御書全集----・正宗聖典----・昭和新定[1]0568・昭和定本[1]0425)
[文永05(1268)年09月"文永05(1268)年"(佐前)]
[真跡・京都本圀寺(断簡)]
[※sasameyuki※]