問うて云(い)はく、人師(にんし)の釈(しゃく)は さも候(そうろう)べし。爾前(にぜん)の諸経に此(こ)の経第一とも説き、諸経の王とも宣(の)べたり。若(も)し爾(しか)らば仏説なりとも用(もち)ゆべからず候か如何(いかん)。答へて云はく、設(たと)ひ此の経第一とも諸経の王とも申し候(そうら)へ、皆 是(これ)権教(ごんきょう)なり。其(そ)の語(ことば)に よ(依)るべからず。之(これ)に依(よ)って仏は「了義経によりて 不了義経によらざれ」と説き、妙楽大師は「縦(たと)ひ経有りて諸経の王と云ふとも、已今当説(い こん とうせつ) 最為第一(さいいだいいち)と云はざれば兼但対帯(けんたんたいたい)其の義 知んぬべし」と釈し給(たま)へり。此の釈の心は、設ひ経ありて諸経の王とは云ふとも、前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経は まさ(勝)れりと云はずば、方便の経と し(知)れと云ふ釈なり。されば爾前の経の習ひとして、今説く経より後に 又 経を説くべき由(よし)を云はざるなり。
(平成新編0294・御書全集0462・正宗聖典----・昭和新定[1]0458~0459・昭和定本[1]0276~0277)
[弘長03(1263)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]