問ふ、一心三観(いっしんさんがん)に勝れたる法とは何(いか)なる法ぞや。答ふ、此(こ)の事 誠に一大事の法門なり。唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)の境界(きょうがい)なるが故(ゆえ)に、我等(われら)が言説に出(い)だすべからざるが故に 是(これ)を申すべからざるなり。是を以(もっ)て経文には「我が法は妙にして思ひ難(がた)し 言(ことば)を以て宣(の)ぶべからず[細雪注・妙法蓮華経方便品第二の御経文]」云云。妙覚(みょうがく)果満の仏すら尚(なお)不可説・不思議の法と説き給(たま)ふ。何(いか)に況(いわ)んや等覚(とうがく)の菩薩已下(いげ)乃至(ないし)凡夫をや。
(平成新編0770・御書全集0530・正宗聖典----・昭和新定[2]1108・昭和定本[1]0848)
[文永12(1275)年02月"文永11(1274)年"(佐後)]
[古写本・日進筆 身延久遠寺、日朝筆 茨城猿島 富久成寺]
[※sasameyuki※]