余(よ)生まれて末(まつ)の初めに居(こ)し 学を諸賢の終はりに稟(う)く。慈覚(じかく)・智証(ちしょう)の正義(しょうぎ)の上に勅宣(ちょくせん)方々 之(これ)有り、疑ひ有るべからず、一言(いちごん)をも出(い)だすべからず。然(しか)りと雖(いえど)も円仁(えんにん)・円珍(えんちん)の両大師、先師 伝教大師(でんぎょうだいし)の正義を劫略(こうりゃく)して 勅宣を申し下(くだ)すの疑ひ 之 有る上、仏誡(ぶっかい)遁(のが)れ難(がた)し。随(したが)って又 亡国の因縁、謗法(ほうぼう)の源初(げんじょ)之に始まるか。故(ゆえ)に世(よ)の謗(そし)りを憚(はば)からず、用(ゆう)・不用(ふゆう)を知らず、身命(しんみょう)を捨てゝ之を申すなり。
(平成新編0753・御書全集1002・正宗聖典----・昭和新定[2]1117・昭和定本[1]0852)
[文永12(1275)年01月24日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]