又(また)余界(よかい)の中の二乗界 仏にな(成)らずば、余界の八界 仏になるべからず。譬(たと)へば父母ともに持ちたる者、兄弟九人あらんか、二人は凡下の者と定められば、余(よ)の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如(ごと)し。九界の衆生は実子(じっし)なり。声聞・縁覚の二人(ににん)永不成仏(ようふじょうぶつ)の者となるならば、菩薩・六凡の七人あに(豈)得道を ゆる(許)さるべきや。「今(いま)此(こ)の三界(さんがい)は皆(みな)是(これ)我(わ)が有(う)なり、其(そ)の中の衆生は悉(ことごと)く是 吾(わ)が子なり、乃至(ないし)唯(ただ)我(われ)一人(いちにん)のみ能(よ)く救護(くご)を為(な)す[細雪注・妙法蓮華経譬喩品第三の御経文]」の文(もん)を も(以)て知るべし。
(平成新編0706・御書全集0522・正宗聖典----・昭和新定[2]1030・昭和定本[1]0772)
[文永10(1273)年(佐後)]
[真跡・小湊誕生寺外二〇ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]