次下(つぎしも)に云(い)はく「仏 自(みずか)ら大乗に住(じゅう)したま(給)へり 乃至(ないし) 若(も)し小乗を以(もっ)て化(け)すること 乃至一人(いちにん)に於(おい)てもせば 我 即(すなわ)ち慳貪(けんどん)に堕(だ)せん。此(こ)の事(じ)は為(さだ)めて不可なり[細雪注、方便品第二の御経文]」云云。此の文(もん)の意(こころ)は法華経を仏 胸に秘しをさめて、観経(かんぎょう)念仏等の四十余年の経計(ばか)りを人々に授(さず)けて、法華経を説かずして黙止(もだ)するならば、我は慳貪の者なり、三悪道(さんなくどう)に堕すべしと云ふ文なり。仏すら尚(なお)唯(ただ)念仏を行じて一生を す(過)ごし、法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云。況(いわ)んや末代の凡夫、一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし、法華経に移りて南無妙法蓮華経と唱へざる者、三悪道を免(まぬか)るべきや。
(平成新編0320・御書全集1369・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0633・昭和定本[1]0441~0442)
[文永01(1264)年09月"文永06(1269)年09月"(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]