末代(まつだい)に法華経を失ふべき者は、心には一代聖教(いちだいしょうぎょう)を知りたりと思ひて 而(しか)も心には権実(ごんじつ)二経を弁(わきま)へず。身には三衣一鉢(さんねいちばち)を帯(たい)し、或(あるい)は阿練若(あれんにゃ)に身をかく(隠)し、或は世間の人に いみじき智者と思はれて、而も法華経を よくよく知る由(よし)を人に知られなんどして、世間の道俗(どうぞく)には三明(さんみょう)六通の阿羅漢(あらかん)の如く貴(とうと)ばれて法華経を失ふべしと見えて候(そうろう)。
(平成新編0222・御書全集0006・正宗聖典0310~0311・昭和新定[1]0349・昭和定本[1]0191~0192)
[文応01(1260)年05月28日(佐前)]
[古写本・日興筆 神奈川由井氏]
[※sasameyuki※]