夫(それ)、摂受(しょうじゅ)・折伏(しゃくぶく)と申す法門は、水火(すいか)のごと(如)し。火は水を いと(厭)う。水は火を にく(憎)む。摂受の者は折伏を わら(笑)う、折伏の者は摂受を かなしむ。無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし。譬(たと)へば、熱き時に寒水を用(もち)ひ、寒き時に火を この(好)むがごとし。草木(そうもく)は日輪の眷属(けんぞく)、寒月に苦をう(得)、諸水は月輪の所従(しょじゅう)、熱時に本性(ほんしょう)を失ふ。末法に摂受・折伏あるべし。所謂(いわゆる)、悪国・破法の両国あるべきゆへ(故)なり。日本国の当世は悪国か、破法の国かと し(知)るべし。
(平成新編0575~0576・御書全集0235・正宗聖典0138・昭和新定[1]0830~0831・昭和定本[1]0606)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]