[細雪注・法華経の]三の巻の心ならば、阿弥陀仏 等の十六の仏は、昔 大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の御時(おんとき)、十六の王子として法華経を習ひて、後に正覚を な(成)らせ給(たま)へりと見えたり。弥陀仏 等も凡夫にて をはしませし時は、妙法蓮華経の五字を習ひてこそ仏には な(成)らせ給ひて侍(はべ)れ。全く南無阿弥陀仏と申して正覚を ならせ給ひたりとは見えず。
(平成新編0332・御書全集0115・正宗聖典----・昭和新定[1]0512・昭和定本[1]0301)
[文永01(1264)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]