仏の御舌(おんした)は或(あるい)は面(おもて)に覆(おお)ひ、或は三千大千世界に覆ひ、或は色究竟天(しきくきょうてん)までも付け給(たま)ふ。過去遠々劫(かこおんのんごう)よりこのかた一言(いちごん)も妄語(もうご)の まし(在)まさゞるゆへ(故)なり。されば或(あ)る経に云(い)はく「須弥山(しゅみせん)はくづ(崩)るとも大地をば う(打)ちかへ(返)すとも仏には妄語なし」と と(説)かれたり。日(ひ)は西より い(出)づとも大海の潮(うしお)は み(満)ち ひ(干)ずとも仏の御言(みことば)は あやま(誤)りな(無)しとかや。其(そ)の上 此(こ)の法華経は他経にも すぐ(勝)れさせ給へば、多宝仏も証明(しょうみょう)し、諸仏も舌を梵天(ぼんてん)に つけ給ふ。一字一点も妄語は候(そうろう)まじきにや。
(平成新編0745・御書全集1508・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1086・昭和定本[1]0835~0836)
[文永11(1274)年11月11日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]